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構造と内田樹に関するpengin-stellaのブックマーク (5)

  • 及び腰ストラテジー - 内田樹の研究室

    普天間基地の移転問題がなかなか解決しない。 問題がなかなか解決しないのは、誰もが満足できるソリューションが存在しないからである。 当たり前のことを言うな、と言われそうだが、「誰もが満足できるソリューションが存在しないとき」に「早く、誰からも文句のでない決定を下せ」と言い立てるのはあまり賢いふるまいとは思えない。 「できるなら、しているよ」 ということである。 「先送り」というのはひとつのアイディアである。 これについてはかつて春日武彦先生から含蓄のあるお話しをうかがったことがある。 精神科に通ってくる患者の中にはしばしば家族関係のしがらみで「どうにも身動きならない」という窮状にあるものがいる。 あちらを立てればこちらが立たずという状況である。 そういうときには「先送り」するという手が有効だと春日先生はおっしゃっていた。 先送りにしているうちに、原因となっていた家族の誰かが死んだり、入院した

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    pengin-stella 2009/12/19
     あ~単に"素材"として→多分(人間である)>首相も、(略)「何が最適解だかぜんぜんわからないので」(略)ときっぱりとした「及び腰」を示せばよろしいかと思う>が趣意/ 但し軽々に「素材」とするの是非は別…/
  • こぶとりじいさんと化す - 内田樹の研究室

    金曜の午後歯を抜いた(これで8月から14目)。 そしたら、歯茎が炎症を起こしたらしく、腫れて来た。 朝起きたら、頬がぷっくりふくれている。 『あしながおじさん』に歯が痛くて顔を腫らしているジェリューシャ・アボットのマンガがあるが、それにそっくりである。 でも、仕事は待ってくれない。 『現代霊性論』の校正締め切りが月末ですよと加藤さんからリマインダーが入る。 げ。 あと二日しかないではないか。 忘れていた私が悪いのであるが、覚えていたとしてもやる時間がなかったという事実に変わりはないので、反省しても仕方がない。 困った。 月曜締め切りの原稿も二ある。 書いてない。 どうしよう。 困った。 しかし、頬を腫れ上がらせた男はこれから京都に行かねばならぬのである。 日ユダヤ学会関西例会。これは休む訳にはゆかない。 もう学会といえば、これしか入っていないのである。 これをさぼるようになったら、も

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    pengin-stella 2009/12/02
     ユダヤ研究のこと等々: コレは楽しそうだ→>留学して、現地で学位を取ってくる>/
  • 寛也さんが来た - 内田樹の研究室

    水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。 寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。 当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。 江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。 そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。 ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれる

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    pengin-stella 2009/12/02
     う~ん…【今回のmyお土産】:→>内側から「生きる」ことである>//
  • 河内小阪から梅田を経由して築地へ - 内田樹の研究室

    ああ〜授業をさぼって。日のあたる場所に、いたんだよ。 というのは嘘で、授業はさぼったけれど、行った先は近畿大学文芸学部の教室である。 私は原則として自分の授業を休んで、学外の仕事をするということはしないのであるが、どういうわけだかこの仕事は引き受けてしまった。 引き受けたときにどういう経緯があったのか、遠い昔のことなので、覚えていない。 だが、約束した以上は行かねばならぬ。 讀賣新聞と近畿大学のジョイントのイベントで、お世話いただいた讀賣の山内さんと文芸学部の浅野洋・佐藤秀明両先生にご挨拶。 お題は「教養なき時代の読書」。 そういうテーマならお話しすることはある。 こういうときに「教養とは何か?」という問いかけから入るのが常道であるが、それをするのはシロート。 こういう場合はむしろその語の一義的意味について合意されていると信じられているキーワードについて、「その定義でよろしいのか?」と一段

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    pengin-stella 2009/11/12
    楽しーい。大瀧詠一「成瀬巳喜男」を論ず、の図/>映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ>/書もまた、音楽もまた/見:⇒ええ、'知とマジメに戯れる'もの、かと。「関わる」「'内語的に対話'する」/
  • やっと病気になれた - 内田樹の研究室

    晴れて病気になれたので、やれうれしやと朝からパジャマでぐっすり寝ていると電話が鳴る。 なんじゃいといささかトンガッた気分になって起き出して「はい」と最大限の不機嫌さで電話口に出ると、朝日新聞である。 26日に鳩山首相の所信表明演説があり、それについてコメントするという約束をしていたのである。 風邪にまぎれて忘れていた。 演説はプレスリリースが事前になされているので、その草稿をメールで送ってもらう。 パジャマの上にダウンベストを羽織って、げほげほと咳き込みながら草稿を読み、1000字コメントを書く。 演説はかなり修辞上に工夫が見られる。 なかなか言語感覚のよいスピーチライターがいる。 「友愛」というのが鳩山首相の政治哲学の根概念のようであるが、「友愛」というのはどちらかというと空想社会主義者の用語である。 私は科学的社会主義者よりも実は空想的社会主義者の方が人間的には好きである。 例えば、

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    pengin-stella 2009/10/28
    >「いいことばかりはありゃしねえ」(@忌野清志郎)/ナイスな引用/
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