終戦翌年の昭和21年(1946)春に東京府立工芸学校印刷科を卒業し、三省堂に入社した杉本幸治は、ベントン用原字を書くために、おそらく三省堂がはじめて新卒から育てあげた書体設計士だ。 杉本幸治、40代のころ。『季刊タイポグラフィ』3号(1974)[注1] 杉本は入社後、活字鋳造や紙型・鉛版製作の現場を経験し、3年目からは母型彫刻室に異動となって、ベントン彫刻機による母型彫刻にたずさわった。やがて書体研究室所属となり、彼の待ちのぞんだ書体設計にたずさわるようになったのが昭和26年(1951)ごろのことである。[注2] じつは当時、一刻もはやくつくらなくてはならない活字があったのだ。 昭和21年(1946)、「当用漢字」1850字が発表された。当用漢字とは、漢字の読み書きを平易にし、正確にすることを目的として、法令や公文書、新聞雑誌、一般社会などの日常生活で使用する漢字の範囲をさだめたものだ(国
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