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2022年5月7日のブックマーク (2件)

  • 第47回 原字の書き方――三省堂の手法 | 「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン(雪 朱里) | 三省堂 ことばのコラム

    終戦翌年の昭和21年(1946)春に東京府立工芸学校印刷科を卒業し、三省堂に入社した杉幸治は、ベントン用原字を書くために、おそらく三省堂がはじめて新卒から育てあげた書体設計士だ。 杉幸治、40代のころ。『季刊タイポグラフィ』3号(1974)[注1] 杉は入社後、活字鋳造や紙型・鉛版製作の現場を経験し、3年目からは母型彫刻室に異動となって、ベントン彫刻機による母型彫刻にたずさわった。やがて書体研究室所属となり、彼の待ちのぞんだ書体設計にたずさわるようになったのが昭和26年(1951)ごろのことである。[注2] じつは当時、一刻もはやくつくらなくてはならない活字があったのだ。 昭和21年(1946)、「当用漢字」1850字が発表された。当用漢字とは、漢字の読み書きを平易にし、正確にすることを目的として、法令や公文書、新聞雑誌、一般社会などの日常生活で使用する漢字の範囲をさだめたものだ(国

    第47回 原字の書き方――三省堂の手法 | 「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン(雪 朱里) | 三省堂 ことばのコラム
  • ソ連のアフガニスタン侵攻/アフガニスタン撤退

    ソ連のアフガニスタン侵攻 1979年、ソ連のブレジネフ政権が、親ソ政権を支援し、イスラーム原理主義ゲリラを抑えるために侵攻した。反発した西側諸国の多くはモスクワ=オリンピックをボイコットした。経済の停滞するソ連でも大きな問題となり、ソ連崩壊の一因となった。 1979年12月、ソ連のブレジネフ政権が社会主義を掲げる親ソ派政権を支援するためにアフガニスタンにソ連軍を侵攻させたこと。ソ連軍に対しイスラーム原理主義系のゲリラ組織は激しく抵抗、ソ連軍の駐留は10年に及んで泥沼化し、失敗した。 ソ連のアフガニスタン侵攻にアメリカなど西側諸国が反発し、70年代の緊張緩和(デタント)が終わって新冷戦といわれる対立に戻った。これを機にソ連の権威が大きく揺らいで、ソ連崩壊の基点となった。 → アフガニスタン撤退 侵攻の理由 当時はその理由は明確にはされず、諸説あったが、現在では次の2点とされる。 共産政権の維