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木簡と山口に関するshig-iのブックマーク (2)

  • 奈良期の木簡、銅の送り先記す 長登銅山跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    美祢市教育委員会は13日、同市にある国史跡の「長登銅山跡」から、銅の送り先を記した奈良時代の木簡などが出土したと発表した。市教委などは「当時の利用実態を明らかにする貴重な手がかりだ」としている。 長登銅山は最古の国営銅山で、奈良時代から1960年まで採掘が行われ、銅は東大寺(奈良市)の大仏が初めて造られる時に使用された。同市教委は2016年から、銅山内の施設の配置を明らかにするため、調査を進めてきた。 今回発見された木簡は長さ約12センチ、幅約3センチ、厚さ約0・3センチ。表面には「家令余五十五」、裏面には「八月十一日知」と書かれている。調査した花園大(京都市)の竹内亮専任講師(日史学)によると、大臣らの秘書にあたる「家令」に約37キロの銅が8月11日に送られた、と読み取れるという。書体などから奈良時代のものとみられる。 同銅山ではこれまでにも、飛鳥時代の貴族・藤原鎌足の子、不比等に銅を

    奈良期の木簡、銅の送り先記す 長登銅山跡 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • asahi.com(朝日新聞社):「和同開珎」造幣所、稼働時期裏付ける木簡出土 山口 - 文化

    出土した「天平二年」と紀年銘のある木簡=下関市教委提供  奈良時代に流通した国内最古級の貨幣「和同開珎(わどうかいちん)」の造幣所の一つ、長門鋳銭(じゅぜん)所跡(国指定史跡、山口県下関市)の隣接地から、造幣所の稼働時期を裏付ける年代が記された木簡が出土した。同市教委の発表によると、木簡が鋳銭遺物とともに見つかるのは全国でも初めてで、文献でしかわからなかった造幣所の場所と稼働時期を裏付ける資料として、専門家は「日の貨幣史上では画期的」としている。  市教委によると、木簡は全長220.5ミリ、最大幅10ミリで、「天平二年五月四日主□□部車万呂」(□は判読不能)と推定できるという。地表下85〜140センチの地層で縦に割れた状態で見つかった。同じ地層には貨幣を造る際に使った鋳型などもあったことから、市教委の担当者は「730(天平2)年時点にこの場所で鋳造されていたと確証づけられる」と話す。  

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