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歴史学に関するshig-iのブックマーク (17)

  • 歴史科学協議会 - 『歴史評論』

    歴史評論』2024年2月号(第886)/ Historical Journal(REKISHI HYŌRON) February 2024 vol.885 特集/律令官人制研究の新展開 “Recent Developments in the Studies of Ritsuryo Bureaucracy” 定価 1,045円 いわゆる律令国家は天皇を頂点とし、大臣以下の貴族や官人がそれぞれの官司でその職務を全うすることで支えられていました。これを律令官人制と呼びます。 律令官人制の研究には、官人の勤務評定を構造的に解明した野村忠夫氏の先駆的な業績がありますが、そもそも官人とは中央官司所属の人々のみならず、女官や地方官衙の末端の人々に至るまで、多岐にわたるものです。今日的な意味での官僚より広い階層と考えられる官人層については、出土木簡からも豊富な知見を得ることができ、近年地方社会を多角的

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    shig-i 2012/09/20
    歴史評論2012年10月号「特集 原発震災・地震・津波―歴史学の課題―」
  • 『歴史学および日本文学研究者に対する実態調査からみる人文科学系研究者の情報行動』を読んだ。 - みちくさのみち(旧)

    年もどうぞよろしくお願いいたします。 さて、昨日、素晴らしい報告書を発見してしまい、小躍りして人に紹介しまくっていたのですが、ただ紹介するだけでなく、どの部分に感銘を受けたかについて、少し紹介させていただきたいと思います。 ここから、いつもの文体でご容赦を。 報告書の概要 その報告書とはこちら 松林麻実子・岡野裕行『歴史学および日文学研究者に対する実態調査からみる人文科学系研究者の情報行動』(筑波大学知的コミュニティ基盤研究センター) ※PDF 同センターの刊行物一覧はこちら 調査は、2007年に学術図書館研究委員会が行った、「学術情報の取得動向と電子ジャーナルの利用度に関する調査」(SCREAL調査)を踏まえ、同調査では人文学という括りで説明されてきた電子ジャーナルの利用動向について、さらに歴史学と日近代文学研究の研究者を抽出して行ったアンケート調査に基づき、その情報取得の動向を

    『歴史学および日本文学研究者に対する実態調査からみる人文科学系研究者の情報行動』を読んだ。 - みちくさのみち(旧)
    shig-i
    shig-i 2012/01/09
    「目次が検索できるようになるだけでも、かなり違うだろうと思う」思う
  • 未来を語らなくなった歴史学 - 保立道久の研究雑記

    早稲田で講演を終えて、さすがに疲労困憊。早稲田から郷へのバスで職場へ戻るが、バスを降りて郷の角でコーヒー。 講演のテーマは「歴史教育と時代区分論ーーどう組み直すことができるか」というもので、聴衆は先生方。これまで話したことのないタイプの話。縄文時代から平安時代、院政期までの時代区分論である。長い時間の歴史について調べて、ともかくもたいへんに勉強になり、機会をあたえられてありがたいことであった。 最初の部分は書いたので、下にコピー。 「はじめにーー歴史学にとっての未来 一九八〇年代以降、日社会は未来を語らなくなっているように感じます。しかし、問題は、それよりも早く、歴史学が未来を語らなくなったことではないでしょうか。歴史学が明瞭に未来を語ったのは、実際上、1967年の石母田正氏の講演「国家史のための前提について」が最後であったように思います。私は歴史学がいわゆる「戦後的価値」を維持する

    未来を語らなくなった歴史学 - 保立道久の研究雑記
  • お知らせ

    歴史学研究会委員会は下記の総会決議案を来る2011年5月20日の歴史学研究会総会に提案します。会員各位には総会討議にふるってご参加ください。ま た、下記のアドレスにてコメント・ご意見を受け付けますのでどうぞふるってお寄せください。 意見集約アドレス:rekiken@mbk.nifty.com 総会決議案:http://rekiken.jp/hssj2011resolution_draftproposal.pdf (以下、PDFファイルと同一内容です) 2011年度歴史学研究会総会決議(案) 3・11後の歴史学関係者の責務 2011年3月11日に発生した東日大震災と大津波、またそれに引き続く東京電力福島第一原子力発電所における事故は、かつてなく深刻な事態を引き起こ している。無数の生命が失われ、生活が破壊された。歴史学研究会は、犠牲者の方々に対して心から深い哀悼の意を表するとと

    shig-i
    shig-i 2011/05/22
    具体的な動きにつながれば
  • 安澤秀一先生について - アート・ドキュメンテーション学会(JADS)公式ブログ

    2011-04-04 2010年4月10日、アート・ドキュメンテーションか学会(有志)によって、安澤秀一先生にお話しをうかがってきました。その記録が、できましたので、学会HPで公開しています。 「安澤秀一先生のお話をうかがう会」記録 http://www.jads.org/news/2011/20110404Yasuzawa_Oral.pdf 安澤秀一先生の履歴・業績一覧 http://www.jads.org/news/2011/20110404Yasuzawa_Works.pdf JADS(アート・ドキュメンテーション学会) http://www.jads.org

    安澤秀一先生について - アート・ドキュメンテーション学会(JADS)公式ブログ
  • 47NEWS(よんななニュース)

    「使命感で現場が奮い立った」羽田の飛行機炎上、ヒーローはJALだけじゃない JR、ANA、スカイマーク…ライバルが交通インフラを支えていた

    47NEWS(よんななニュース)
  • 文化勲章:脇田・県立歴史博物館長が受章 女性史研究、「傍流」認められた /石川 - 毎日jp(毎日新聞)

    ◇受章に笑顔 今年度の文化勲章受章者に決まった県立歴史博物館の脇田晴子館長(76)=京都府向日市。26日、同博物館で「子育てで研究時間が限られ、皆と同じことをしていたら不利だと思っていた。『傍流』の仕事が認められ、うれしいの一言」と、笑顔で受章を喜んだ。 専門は日中世史。研究者生活を始めた約50年前の京都大大学院時代、主流の農村史研究を避け、都市や商業といった社会経済を研究のフィールドに選んだ。1963年に大学院を出た後、京都橘女子大や大阪外国語大(現大阪大)、滋賀県立大教授などを歴任した。 社会経済の研究を進める一方、「女性史は人間の歴史の半分のはずなのに男性中心の歴史学の中でこれまで黙殺されてきた」との問題意識から女性史研究にも傾注。「日中世女性史の研究」(東京大学出版会)など平安時代末期から安土桃山時代にかけての女性史研究で先駆的な役割を果たした。また、女性史総合研究会を立ち上げ

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    shig-i 2010/10/27
    夫婦とも博物館館長とは
  • 歴史学をめぐる議論

    @tricycler RT @tamanoirorg: まあ同様に、門外漢は言及しないが吉、みたいな問題はあって、例えば哲学系の奴が、歴史の問題は固有名の問題、とか言い出すと、あまりのことに笑いが止まらなくなって、この馬鹿にこの先何百ページか付き合う気力を失う訳だ。 2010-03-07 06:43:15 @tricycler RT @tamanoirorg: 立派な哲学者でもそういう問題はあって、まあためにする史観ヘーゲルはしょうがないとしても、フッサールとかベルグソンとかはその段階でもう、およそ真面目に相手にする気にさえならない訳だ。彼等がせめて、同時代の歴史研究がどうなっているかに多少でも関心を持っていたらねえ。 2010-03-07 06:43:16

    歴史学をめぐる議論
    shig-i
    shig-i 2010/07/18
    あとでよみたい
  • 2009-12-21(Mon): 『日本歴史』740に「日本史研究におけるインターネットの学術利用」を寄稿 - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版

    ・「歴史研究者・愛好家への贈り物−歴史学関係雑誌の新着記事情報 Powered by NDL 雑誌記事索引採録誌一覧」(編集日誌、2009-08-08) http://d.hatena.ne.jp/arg/20090808/1249723706 で書いたが、『日歴史』740(2010年1月号)(吉川弘文館)の新年特集「日史研究とデータベース」に「日史研究におけるインターネットの学術利用−これまでの成果と、これからの課題」を寄稿した。 元々、歴史というか政治学というか、日古代史というか、日政治思想史というか、そのあたりの領域を勉強していたので、この寄稿は感慨深い。 なお、目次は以下の通り。 『日歴史』編集委員会「新年特集にあたって」 横山伊徳「日史研究データベースはどこへ行こうとしているのか」 【分野別現況】 小口雅史「日古代史研究のためのオンライン・データベース」 田良島哲

    2009-12-21(Mon): 『日本歴史』740に「日本史研究におけるインターネットの学術利用」を寄稿 - ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版
  • 時事ドットコム:田中健夫氏死去(東大名誉教授・日本中世史)

  • 和歌山県立博物館ニュース |コラム きのくに荘園の世界? 西岡虎之助と紀州の荘園

    和歌山県立博物館ニュース 和歌山県立博物館から最新の情報をお届けします。(ブログ内の画像の使用・転載にあたっては和歌山県立博物館の許諾が必要です。) 西岡虎之助は、明治28年(1895年)、現在のかつらぎ町教(きょう)良(ら)寺(じ)に生まれた歴史家で、日における荘園研究を切り開いた先駆者として知られています。また、西岡は、世界中を巻き込んだ戦争へと日が突き進んだ大正から昭和の時代にかけて、天皇・貴族や武士といった支配者からみた歴史ではなく、女性や子どもを含む、民衆の視点から歴史を描く必要性を説いた民衆史研究の草分けでもありました。 西岡は、大正5年(1916年)、和歌山県師範学校を卒業すると、はじめ郷里に近い四郷尋常高等小学校(現在の四郷小学校)に赴任しています。その後、大正7年(1918年)には志賀尋常高等小学校へと転任していますが、この年の秋、西岡は小学校教員を辞し、東京帝国大学

  • 株式会社勉誠社 --HOME

    place株式会社勉誠社 〒101-0061 東京都千代田区神田三崎町2-18-4 徳栄ビル4F 適格請求書発行事業者登録番号 T9020001139496

    shig-i
    shig-i 2009/03/23
    評判待ち
  • 国文学研究資料館アーカイブズ研究系の機能保全に関する要望書

    人間文化研究機構                         機構長 金田 章裕 殿 国文学研究資料館 館長  伊井 春樹 殿 散逸の危機に瀕した日の記録史料の保存を求めた歴史学界をあげての強い要望と運動を背景として、歴史研究者96名による「史料館設置に関する請願」が 1949年に衆議院により採択され、文部省史料館が設置されたのは1951年のことであった。現在の国文学研究資料館アーカイブズ研究系は、この文部省史 料館に起源を置くものである。 国文学研究資料館がこれまでにその調査・収集・研究を通じて収蔵した日近世・近現代史の収蔵史料は50万点にのぼり、民間史料の受け皿として貴重な役 割を果たしてきた。また、過去60年にわたって刊行されてきた『史料館所蔵史料目録』(現『史料目録』)をはじめとする史料群の保存・公開事業は、これま で数多くの研究者の利用に供され、歴史学の発展に多大

  • asahi.com:16年間で400基を超える古墳を調査した英国人技師 - 文化一般 - 文化・芸能

    16年間で400基を超える古墳を調査した英国人技師 2007年06月26日15時54分 モースが大森貝塚を発掘したのと同じ明治期に、日の古墳研究に匹敵する足跡を残した英国人がいる。東京・神田駿河台の明治大学博物館で7月1日まで開かれている「ガウランド 日考古学の父」展は、天皇陵などの撮影・測量を行った冶金(やきん)技師ウィリアム・ガウランドの研究を概観した初の展覧会だ。 ウィリアム・ガウランド 岡山県坊山古墳出土の陶棺(ガウランド撮影) 明治5(1872)年、大阪造幣寮の技師として来日。勤務の傍ら、離日までの16年間に全国で400基を超える古墳を調査した。 特に力を入れたものが写真撮影。当時は天皇陵の管理がゆるやかで、近くまで出入りすることができた。 展覧会では、墳丘上に神社があった頃の河内大塚山古墳(陵墓参考地)や、樹木があまり生い茂っていない大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)などの貴重な

  • 日本現代史序説講義ノート目次

    京都大学文学部基礎現代文化学系現代史学専修講義 日現代史序説講義ノート 担当:永井 和 注:この講義ノートは、授業のための心覚えであって、きちんとした著作物ではありません。実際の授業では、脱線が多いため、ここに書かれたこと以外でも話しています。逆にノートの書いてあっても、話さずに終わったこともあります。授業中にうまくノートがとれなかった人の気休め的参考にして下さい。 2001年度 東アジア史の近代 東アジア史の現代と20世紀 「帝国」の時代−20世紀前半の日ー 第1次世界大戦後の日 1999年度 1999年度の講義ノートを整理して右にまとめました。「現代史の時期区分論とその変遷」 第1回(4月21日) 第1回目は自己紹介と履修上の注意事項の説明で、論とは関係ありません。よって省略しました。第2回以降をお読み下さい。 第2回(4月28日) 第3回(5月12日) 第4回(5月19日)

    shig-i
    shig-i 2007/06/24
    勉強になる
  • http://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/20070624/CK2007062402026749.html

    shig-i
    shig-i 2007/06/24
    「埼玉の三偉人」なんてあるんだ
  • 「五胡」・北魏前期史への視点 | 関尾史郎のブログ

    匈奴の劉淵が大単于を称して自立したのをはじめ,「五胡」諸政権は,民族の如何を問わず,初代の君主の多くが自立する際に大単于を称している.後趙・前燕・前秦・後秦・西秦・南涼・夏などである.また先行研究が説くように,自立後は,皇太子やそれに匹敵する宗室の有力者が,その称号を君主から受け継ぎ,領内の非漢族を統治する役割を果たした.すなわち大単于は皇帝や天王を称した君主に従属ないしは臣属する存在に転化するのである.漢(前趙)・後趙・前秦・西秦・後燕・北燕などの諸政権にその例を見出すことができる. ところでこのような二つの事例以外にも,帰属してきた非漢族の君長に単于号を授与する例がある.それは大単于号だったり,当該民族の名称を冠した単于号だったり,四至を冠した単于号だったりするが(左賢王号もこのヴァリエーションとしてよかろう),漢が,後に後趙を興す石勒を東単于としたような例である.管見の限り,唯一,拒

    「五胡」・北魏前期史への視点 | 関尾史郎のブログ
    shig-i
    shig-i 2007/04/27
    専門的
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