ケニア人選手の「ごぼう抜き」は、今や箱根駅伝恒例のシーンとなっている。1989年(昭64)大会の故ジョセフ・オツオリさん(山梨学院大)登場以来、その姿は20年間途切れることはない。その一方で「留学生」起用に対する世間の批判や偏見はいまだ根強い。彼らが箱根に登場した理由、素顔、そして起用する側の苦悩を探る。山梨学院大の上田誠仁監督(51)、日大の堀込隆ヘッドコーチ(52)に本音を聞いた。<山梨学院大:上田誠仁監督> 06年8月30日、上田監督の下に突然の訃報が届いた。ケニアに一時帰国していたオツオリさんの交通事故死だった。享年37。89年に史上初めて留学生として箱根駅伝に出場し、7人抜きで「花の2区」で区間賞デビューした。上田監督が初めて育てたケニア人選手、その後もチームの中心選手として計3度の区間賞を獲得。それだけに思い入れも強かった。 上田 当時は箱根で外国人が走るなんて考えもしなかった