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戦争と日本に関するajitaのブックマーク (9)

  • asahi.com(朝日新聞社):日本人遺骨収集事業に反発 フィリピン、盗難続発背景に - 社会

    親や孫の遺骨が盗まれた洞窟墓地の前で嘆く先住民族の親子=ミンドロ島、四倉写す  フィリピンで第2次世界大戦中に戦没した日人の遺骨を収集する厚生労働省の委託事業に対し、遺骨の収集や確認方法に問題があるとして地元住民や戦没者遺族、事業に協力してきたフィリピン国立博物館などから中止や改善を求める声が上がっている。同国各地で人骨盗難事件が起きていることが背景にある。  比中部のミンドロ島東部で今年6月27日、大量の人骨を運んでいた先住民族の男3人が住民に捕まった。100カ所以上の洞窟(どうくつ)墓地から1千人分以上の住民の遺骨が持ち出された形跡があった。先住民族組織代表のアニウ・ルバグさん(40)らによると、うち2人が「骨を集めている者に売るために洞窟から盗んだ」と認めた。  同島では厚労省の遺骨収集が行われている。ルバグさんらは「男たちが祖先の骨を日人の遺骨と偽って提供しようとした疑いがある

  • 東京新聞:空襲の実態、ネットで世界へ 2米国男性が資料公開:社会(TOKYO Web)

    太平洋戦争で空襲を受けた人の手記や、日を爆撃した部隊の文書など、日米双方の資料をインターネットで公開する「日空襲デジタルアーカイブ」を設立する計画を、神奈川県在住の米国人男性らが進めている。空襲の実態を国際的に広める目的で、十一月末にも日英二カ国語のサイトを始める予定。世界中の研究者や一般市民が無料で閲覧でき、日の研究者らは「空襲の実態を発信するきっかけになる」と歓迎している。 (社会部・橋誠) 計画しているのは、同県小田原市で英会話教室を経営するブレット・フィスクさん(37)と、米ニューヨーク市立大のケリー・カラカス准教授(39)。 フィスクさんは二十歳で来日し、日人と結婚。三年前、業の傍ら書いている小説の取材で、空襲の記録を調査。約十万人が亡くなった一九四五年三月十日の東京大空襲を知った。 早速、古書店で体験者の手記を購入。読み始めると、川に飛び込んで両親と別れた女性や、子

  • 「国民抗戦必携」と油山事件 - 海鳴りの島から

    5月13日付沖縄タイムスに、大営陸軍部が1945年4月25日に刊行した冊子「国民抗戦必携」を林博史関東学院大学教授が米国立公文書館で確認した、という記事が載っている。 http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-13_6437/ http://www.okinawatimes.co.jp/article/2010-05-13_6450/ 紙上には「国民抗戦必携」の写真も載っていて、手榴弾爆雷、火炎瓶、刺突爆雷の使用法や、刀、槍、鎌、ナタ、玄翁、出刃包丁、鳶口、格闘などによる攻撃法が図入りで説明されている。写真を見ると、格闘には次のような説明がなされている。 〈水落ヲ突ク 睾丸ヲ蹴ル 其ノ他柔道、唐手ノ手ヲ用フル〉 武器の生産、配備が追いつかないときは農具や大工道具なども使わせ、果ては竹槍や素手で住民を米軍に立ち向かわせる。このような大営陸

    「国民抗戦必携」と油山事件 - 海鳴りの島から
  • http://www.news.janjan.jp/living/0910/0909280877/1.php

  • 太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス

    太平洋戦争ヒストリーマップ||NHK 戦争証言アーカイブス
  • ロシア住民虐殺で追悼式典 イワノフカ事件90年 / 西日本新聞

    【ブラゴベシチェンスク12日共同】1919年3月、シベリア出兵中の旧日軍が抗日パルチザン掃討を目的に多数のロシア人住民を虐殺したロシア極東アムール州ブラゴベシチェンスク郊外のイワノフカ村で12日、犠牲者を追悼する90周年祈念式典が行われ、シベリア抑留経験がある日人や犠牲者の遺族らが参加した。 イワノフカ村はアムール川や中国国境の近くに位置し、シベリア出兵当時はロシア側革命軍による抗日パルチザンの拠点とされた。旧日軍は19年3月22日、女性や子どもら257人を銃などで殺害、36人を小屋に閉じ込め焼き殺すなど計約300人を殺害した。 第2次大戦後のシベリア抑留経験を持ち、95年からほぼ毎年、イワノフカ村への参拝を続ける岐阜県揖斐川町の僧侶横山周導さん(84)は「日国民として過去の蛮行を深く恥じ入るばかりで、どのような理由があっても許されることでない」と追悼文を読み上げた。 母が危うく虐

    ajita
    ajita 2009/07/13
    そういえば、シベリア出兵は『はいからさんが通る』(アニメ版)で知った。「干渉戦争」という言葉も。
  • asahi.com(朝日新聞社):海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」 - ショッピング

    海を越えた魂 ザ・ブーム「島唄」沖縄 2009年6月19日 青く透明な海を背に、沖縄系アルゼンチン人の歌手大城クラウディアさんの歌う「島唄」と三線の音が響く=沖縄・宮古島 「島唄」はザ・ブームの宮沢和史さんが作詞作曲した曲です。 きっかけは、沖縄音楽にのめりこんでいた宮沢さんが91年に初めて訪れた「ひめゆり平和祈念資料館」で受けた衝撃でした。宮沢さんはその時初めて沖縄戦の悲劇を知り、それまでの自分の無知さに猛烈に腹が立ったといいます。資料館を出た後、とぼとぼと歩く先には、サトウキビ(沖縄の言葉で「ウージ」)が風に揺れていました。 東京へ帰ってすぐに書いた曲が「島唄」でした。でいごは5月ごろに咲く沖縄の県花、「ウージの森」とはサトウキビ畑のこと、「ウージの下」とは畑の下にあったガマのことです。「ウージの森で千代にさよなら」という歌詞は、ガマでの集団自死の悲劇を暗示します。旋律は沖縄音階を基調

    ajita
    ajita 2009/06/25
    作曲した本人がそういう意図で音階を使い分けたと言っているのに、この記事を紹介した http://gyogyo.seesaa.net/article/122033632.html にアカヒがどうのと罵倒を浴びせている人たちの心境がよくわからんわ。
  • 「振武寮」に隔離された元陸軍 特攻隊員の証言など(文字起こし) - Transnational History

    (福岡市薬院にあった振武寮) 陸軍では特攻隊員として出撃したが、何らかの要因により攻撃に至らずに帰還した特攻隊員を、死んだはずの軍神が生きていてはおかしい、ということで人目につかないよう秘密裏に「振武寮(しんぶりょう)」に隔離した。以下はその「振武寮」を取り上げたNHKの番組『2007/10/21 NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還 〜陸軍特攻隊の悲劇〜」』内での証言を文字起こししたものです。*1 番組内のナレーションより:(振武寮では)罵倒され足腰が立たなくなるほど殴られた。仲間の中には耐え切れず自殺した人もいたという。 元第二十二振武隊所属 大貫健一郎さんの証言 「お前たち命が惜しくて帰ってきたのか。そんな死ぬの嫌か。卑怯者だとか、死んだ連中に申し訳ないと思わないかとか、そういことを毎日毎日言う訳です。おまえら人間のクズだと。」 元第二十二振武隊所属 島津等さんの証言 「お前ら1

    「振武寮」に隔離された元陸軍 特攻隊員の証言など(文字起こし) - Transnational History
  • ヒロシマ、ナガサキの原爆を両方体験した「二重被爆者」…93歳の日本人に欧米で感心の声 : らばQ

    ヒロシマ、ナガサキの原爆を両方体験した「二重被爆者」…93歳の日人に欧米で感心の声 山口彊(つとむ)さんをご存知でしょうか。 広島14万人、長崎7万人、戦後も合わせると延べ38万人が2発の原爆によって亡くなりました。 その広島と長崎の両方で被爆した「二重被爆者」です。 93歳になるという山口彊さんの記事が英テレグラフ紙で取り上げられ、海外サイトで様々な反響、話題となっていました。 日人であれば原爆の被害や悲惨さをよく知っていますが、海外では実感が湧かない人々・世代や、さらにインターネットということもあって、冗談めかした反応も多いです。 不謹慎な書き込みも多く、ばっさりカットすべきか、そもそも扱うのを止めるか迷いましたが、知らないことや風化することの方が怖いことではないかと思い、紹介することにしました。 山口さんは以前こう語っておられます。 「二重被爆して90まで生きると思っていませんで

    ヒロシマ、ナガサキの原爆を両方体験した「二重被爆者」…93歳の日本人に欧米で感心の声 : らばQ
    ajita
    ajita 2009/03/27
    昨夏、広島平和記念公園で、肩を落とし泣きながら歩く白人の老夫婦の姿を見て、ひどく心打たれたことを思い出した。
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