タグ

仏教に関するjoaquin2010のブックマーク (2)

  • 「お寺に決まった形はない!けれど社会にあっていればそれでいいワケでもない」僧侶界のイノベーター・池口龍法僧侶の【私がフリーペーパーを作った理由-後編-】() @gendai_biz

    「お寺に決まった形はない!けれど社会にあっていればそれでいいワケでもない」僧侶界のイノベーター・池口龍法僧侶の【私がフリーペーパーを作った理由-後編-】 先頃、『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』を上梓した僧侶の池口龍法さんは、京都大学、同大学院で学び、浄土宗総山の知恩院に奉職しながら、宗派を超えた僧侶たちのフリーペーパーを創刊した、僧侶界のイノベーターだ。 全国の寺を廻り、僧侶たちを取材し続ける池口龍法さんが観て感じた、震災前後のお寺のありかたの変貌は? 「葬式不要論」が出る一方で、仏教&仏像ブーム も起こる今、仏教というビジネスモデルの可能性はどこにあるのか?――僧侶たちが抱える苦悩と挑戦を、若き変革者が音で綴る! ⇒【前編】、【中編】はこちらからご覧ください。 * * * それぞれの僧侶がコミュニティへの参加を考え始めた いま、社会がどういう形になっていくのかわからず、

    「お寺に決まった形はない!けれど社会にあっていればそれでいいワケでもない」僧侶界のイノベーター・池口龍法僧侶の【私がフリーペーパーを作った理由-後編-】() @gendai_biz
  • MBA僧侶が語る「なぜ『善人』ほど孤独になるのか」

    多くの人は世界一とまでは言わないけれど、「自分はそこそこの善人」であると思っています。私自身を振り返ってみても、人には自分が善人でありたいと考える傾向があり、「あれが悪い、これが悪い」と自分を棚にあげて他人を批判したり文句を言ったりします。 自分が善人でありたいと思うのは、自分を相対的な善悪で考えているからです。それは自分のなかにつくりあげた世間を気にかけているだけで、気で自分自身を深く見た結論というわけではありません。つまり「自分はそこそこの善人」という思いは、他人との比較によって自己を規定していると言えます。 そうやってちょっといい位置に自分を置こうとするのは自己愛や自己中心性という誰もが持つ人間の習性で、その奥底にあるのは不安や恐れです。不安や恐れが、自分というものの確かさを常に確かめたくて仕方がないという気持ちをかき立て、自分をいい位置に置こうという力として働いてしまうのです。

    MBA僧侶が語る「なぜ『善人』ほど孤独になるのか」
  • 1