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思想と批評に関するnebokegaoのブックマーク (5)

  • 異物が排除される社会の再編集は可能か - アーキペラゴを探して

    1.消え去った異物、妖怪たちの展覧会 現在、妖怪幻獣百物語という展覧会を大阪でやっていて、二部構成の展示になっている。第1章が「妖怪世界へのいざない」ということで、室町からはじまる百鬼夜行の絵巻や江戸期の妖怪錦絵がふんだんに見れる。第2章は「幻獣 河童や人魚たちの世界」ということで、烏天狗や人魚、鬼、件*1 他、数々の幻獣ミイラが確認できる。 <妖怪展>妖怪幻獣百物語 妖怪幻獣百物語 | Facebook 展示物の多くは、妖怪資料の収集家・研究家として有名な湯豪一氏のコレクションである。百鬼夜行、頼光と土蜘蛛、頼政と鵺の版画など、日人の構図力、造形力が、息をのむほど素晴らしい。鬼太郎、ポケモン、モンハン、モンスト、妖怪ウォッチ、現代まで脈々と続く妖怪ワールド。この展覧会で、妖怪市場がしばらく枯渇しないだけのリソースが充分にあることが分った。 湯豪一氏のコレクションは、『今昔妖怪大鑑

    異物が排除される社会の再編集は可能か - アーキペラゴを探して
    nebokegao
    nebokegao 2014/11/22
    「妖怪が撲滅され、幽霊が生き残る/私たちが想像し、創造する幽霊は、近代的自我観や「私」の産物かもしれません」
  • 「承認欲求」をめぐる混乱はなぜ生じたのか?:「承認」概念の三つの起源 - 長椅子と本棚2

    「承認」の起源という問題 以前に、日のインターネットでよく言及される「承認欲求」という言葉がかなり多義的に用いられているということを、実際の使用例を見ながら論じました。 ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と棚 上の記事では実際のネットスラングとしての使用例だけをまとめましたが、「承認」という言葉はネットでの用法にとどまらない背景を背負っています。そこで、今回は少し切り口を変えて、「承認」という概念の出自から、この概念がなぜこんなにも混乱した仕方で用いられているのかを考えてみます。 さて、「承認」という言葉の出自はどこに求められるでしょうか。現代の日で最もよく知られているのはA. マズローが用いたesteemという概念でしょう。「承認」についてまとまった連載記事を最近投稿していた「シロクマの屑籠」のid:p_shirokuma氏は、次のように書いて

    「承認欲求」をめぐる混乱はなぜ生じたのか?:「承認」概念の三つの起源 - 長椅子と本棚2
    nebokegao
    nebokegao 2014/02/03
    ありがたやー>「意味も出自も全く異なる三つの言葉に、同じ「承認」という訳語が当てられてしまった。この不幸の上に、現代日本における「承認欲求」論の混乱も生じている」
  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

  • 2010-06-08

    昨年3月の「組立」展で配布したフリーペーパーに掲載の、永瀬によるtxt『言語の爆発的失敗 東浩紀から吉隆明「マス・イメージ論」への遡行』の全文を転載します。「ユリイカ」5月号に掲載された佐藤雄一氏のtxt「QF小論」中にある「床屋談義」に当たるものとお考えください。佐藤氏のtxtの水準の高さは素晴らしいもので、私自身は何も言う事がないのですが、いわば素材として、改めて流通させ直すことにしました(タイミングが遅いのですが、単なる怠惰です)。はてなダイアリーの記法を利用した他は、ほぼ原文のままです。 一  「マス・イメージ論」というクレーター 読む事が出来ないがある。なぜこんなにも読めないのか。 一九八四年に福武書店より出版された吉隆明「マス・イメージ論」に対する批判は、柄谷行人「モダニティの骨格」(一九八五年「批評とポストモダン」収録・これも福武書店)において既になされている。 吉

    2010-06-08
    nebokegao
    nebokegao 2012/04/11
    言語の爆発的失敗 東浩紀から吉本隆明「マス・イメージ論」への遡行
  • 宇野常寛・中森明夫=対談「危機の時代の批評」 | PLANETS/宇野常寛 第二次惑星開発委員会

    評論家の宇野常寛氏が、『ゼロ年代の想像力』以来3年ぶりに、単著の評論『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を上梓した。2001年以降の世界を、表題にある「リトル・ピープルの時代」と位置づけ、それ以前の「ビック・ブラザーの時代」と峻別し、現代における想像力について、鋭く考察した注目の書である。村上春樹作品の分析にはじまり、日のサブカルチャー分析を通して、これからの社会を変革するビジョンを構想する。刊行以来、インターネット上では既に大きな反響を呼んでいるが、宇野氏と、評論家の中森明夫氏に対談をしてもらった。 (「読書人」編集部) 「01年以降の想像力」 中森 宇野さんとは、3年前の夏、『ゼロ年代の想像力』(以下『ゼロ想』と略)が出た時に、青山ブックセンターで公開の対話をしたんですよね。評論の単著としては『リトル・ピープルの時代』が2冊目で、今度のに3年間を費やした経緯から、お話しいただけます

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