教科書的に言うと次のような感じです. カントの自我は,理論的自我と実践的自我の2つに分裂していました. つまり,かれは,世界を物自体の世界(叡智界)と現象の世界(感性界)に分け, われわれは感性界しか認識できないといったのですが, その一方で,倫理的実践により,物自体の世界にも到達することができるといったのですね. で,フィヒテ以降のいわゆるドイツ観念論の課題は,この分裂した2つの自我をどう統一するかにありました. フィヒテは,いってみれば,おおきな自我のなかにこの自我と非我(物自体)が存在するとして解決しようとしました. これを主観的観念論といいます. ついでなんで書くと,シェリングはそれにたいして,自我は自然の一部だと考えることによって解決しようとしました. これを客観的観念論といいます. で,ドイツ観念論の完成者といわれるヘーゲルは,上記三者がいずれも,自我と非我の関係を静的にとらえ