大江健三郎という作家は、個々の作品を評価することと、作家としての全体像の評価が必ずしも一致しない……そんなタイプの作家であると思う。 それはなぜかと言えば、その作家生活の過程で小説そのものに対する原理的な検証を積み重ね続けた結果、作風が変遷し続けているからだ。まったく、これほどまでに、文体の水準からして根本的に作風が変わり続ける作家というのも珍しい。何も予備知識のない状態で最初期の小説と最近の小説を読み比べてみたならば、同一人物の作品とわかる人はほとんどいないのではないかとすら思える。 だから、大江健三郎の場合、「ある特定の大江作品」を評価することと、「大江健三郎という作家」を評価することとは、必ずしも、うまくかみ合うものではない。そこには、尋常の作家では考えられないような、巨大な乖離がある。……例えば、『万延元年のフットボール』は、極めて優れた作品である。それは、それが書かれた時点で