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ブックマーク / zaitsu.blog.fc2.com (3)

  • 財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー 欲望学ノート5 志賀直哉と夏目漱石(1)

    語としての「欲望」の現代的意味は何か。言い換えるなら、現代において日語で生活してしてる私たちが「欲望」と言うとき、何を言おうとしているのだろうか。 無数の出版物から、「欲望」という言葉が出てくる文章をすべて探し出し、その文脈から「欲望」の意味を推測する・・・などということはできるはずがない。 問い方を変えよう。「欲望」という言葉は、何を指し示しているのだろうか。ドゥルーズは『差異と反復』の第二章のなかで、こう語っている―――行動主義心理学のおかげで、私たちは、動くものの観察しか信用しなくなり、「内観」と言われる仕方に過度の恐怖心を抱いている、と。 「内観」とは、簡単に言うなら、自分で自分の心の状態を観察することである。これは、今では古臭いと思われているヴントの心理学の方法である。心理学を経験科学として確立しようとしたブントはまた、要素主義の立場をとった。彼は、心あるいは意識の諸要素を

  • 財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー 欲望学ノート2 ハイデガー、欲望、性

    暑さで脳が麻痺していたが、立秋も過ぎて夜になればやや涼しい風が吹き、思考力が戻ってきたので、ブログの執筆に戻ろう。 今年の3月、まだパリにいた頃、オペラ座バスティーユで「ラ・バヤデール」のニキヤを踊るオレリ・デュポンを見たが、昨日(8月11日)、東京文化会館で開かれている「世界バレエフェスティバル」で、再びオレリの舞いと踊りを見た。ジェローム・ロビンズの「アザー・ダンス」。オレリをひたすら賛美する私には、ただ素晴らしいとしか言うことができない。 当日、Bプロがすべて終わると、観客はくどいほどカーテンコールを求め、私もそれを楽しんだ。夜の8時半すぎに会館を出ると、人だかりがしていたので好奇心に駆られて近寄ると、その日に出演したダンサーたちがファンの差し出す色紙などにサインをしていた。そこにはオレリがいた。フランス語ができる一人のファンが「メルシー・マダム」と礼を言うと、オレリは「ドゥ・リアン

  • 財津理の思想研究 ドゥルーズ/ラカン/ハイデガー

    序論第5セクション第6段落 この第6段落から、『差異と反復』の序論のまとめに入ってきたようだ。ところがこの段階で、これまでの改訳における訳語の統一のブレに気づいた。また、訳語の変更が必要になった。その修正で、時間が取られたが、まだ十分ではない。どこを修正したのか、一々指摘しないので、悪しからず。 訳注については、既出の『差異と反復』のものと、この改訳で付したものとの調整が、今後必要になる。 (2)反復における裸のものと仮装したもの ①私たちは、絶対的に同じ概念をもっている同一的な諸要素に直面するとき、当然反復を語ってよい。 ②しかし、そうした離散的な諸要素から、つまり反復される諸対象から、私たちは、それらを通じて〈己れを反復する=反復される〉【訳注1】密かな主体=服従者【sujet スュジェ 】【訳注2】を、すなわち反復の真の主体=服従者を区別しなければならない。 ③反復を代名詞的なものに

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