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文芸に関するpengin-stellaのブックマーク (10)

  • 青春の苦悩と孤独を歓喜にかえた画家たち:木田金次郎展(府中市美術館)

    近代日を代表する文学者のひとり、有島武郎(ありしま・たけお)の小説『生れ出づる悩み』の出版100年を記念し、モデルとなった北海道の画家・木田金次郎の展覧会が開催される。 『生れ出づる悩み』は画家を志しながら、生活のために漁師となった青年「木」と小説家「私」との出会いと交流、そして互いが抱える創作の苦しみを綴ったもの。木のモデルである木田と有島は、1910年に札幌で出会い交流を重ね、有島は木田の姿に触発されて一編の小説をまとめ、いっぽう木田は有島から薫陶を受けながら絵画の道を進む。 有島の強いすすめもあり、生まれ故郷で地方の漁村である北海道・岩内で活動した木田は、にぎわう漁港や波しぶく岩場を奔放な筆づかいと鮮烈な色彩で描き、1954年にそれまで描いた1500点あまりの作品を失う火災に遭うも、同地で制作を続けた。 展では、木田の生涯を80点の作品でたどるとともに、有島の『生れ出づる悩み

    青春の苦悩と孤独を歓喜にかえた画家たち:木田金次郎展(府中市美術館)
  • 今東光「小説河内風土記」大阪府八尾市(写真で見る文学周遊)

    日々のニュースの風景を切り取った写真や、スポーツなどテーマごとに特集した写真を見ることができます。

    今東光「小説河内風土記」大阪府八尾市(写真で見る文学周遊)
  • 【終了しました】企画展「沸騰する精神――詩人・上田敏雄」| 中原中也記念館

    2019年04月17日 展示案内イベント チラシPDF 2019年4月17日(水)~7月28日(日) 1枚のハンカチーフ――君はくずれおちた月だ 愛がなければ 世界はハンカチーフの廃墟である ―上田敏雄「讃美歌のためのアルゴ」(『薔薇物語』)より 明治33年、現在の山口県防府市に生まれた上田敏雄は、慶応義塾大学文学部英文科在学中に詩壇に登場、昭和3年に、弟の保、北園克衛と連名で、日初のシュルレアリスム(超現実主義)宣言を発表します。そして、昭和4年には詩集『仮説の運動』を刊行し、大きな反響を呼びました。その後中断を経て、昭和20年代に詩の発表を再開。昭和57年に81歳で亡くなるまで、新作を発表し続けました。中也とは、昭和6年に入学した東京外国語学校の同級生の間柄で、中也は詩集『山羊の歌』を上田に献呈しています。 展は、絶えず変化し、常に新しい詩精神によって詩をつくり続けた詩人・上田敏雄

  • チェリーパークライン詩句巡り~車坂峠・ビジターセンター/長野県小諸市/2021年9月 : 関東ご近所ネイチャースポット訪問記

    関東を中心に自然公園・博物館・動植物園・ビオトープなどのネイーチャースポットを巡ります。 遠くの自然よりご近所の自然、グローバルからローカルへ、人間主義から生き物共生へ、ナチュラルに過ごしたいと思います。!! 自分の自然保護活動の啓発と参考のために、近郊のネイチャースポットの視察をおこなっていますが、その小旅行&視察が趣味となってきたようです。「近隣エコツーリズム」と言うのでしょうか・・・? ご近所にもいっぱい自然があります。様々な生き物もいます。ご近所再発見しませんか!! この道路は元々有料道路だったようで、その魅力的価値を高めるために、桜の植樹と同時期に、道標として句や歌が書かれた石碑を建立したそうです。? 合計23基あるとのことですが、往来がそこそこあるヘアピンカーブ連続の道では、1ヶ所1ヶ所ごとに駐車スペースがある訳ではないので、ゆっくり観賞するわけにはいきません。気づいた箇所と車

    チェリーパークライン詩句巡り~車坂峠・ビジターセンター/長野県小諸市/2021年9月 : 関東ご近所ネイチャースポット訪問記
  • 書肆・貸本屋の役割 | 岩波講座「日本文学史」10 | ふみくら Text Archives

    はじめに 書物を指示する名称は、典籍・書籍・書物・図書・冊子など少なからず存在する。また、その形態で分ければ、大・半紙・中・小・横・巻子などがあり、その内容で分類すれば、儒書・仏書・神書・史書・医書・歌書・軍書・好色・草子などと細分化できる。一方同様に書物を扱う店を指示する呼称も多く、書林・書肆・書房・書鋪・物の屋・書籍所・書物屋・浄瑠璃屋・謡屋・草紙屋・絵双紙屋・草紙問屋・地問屋などという具合に、板元と流通業者とが明確に区別されずに使われてきた。このほか屋に関連する業種としては、板木屋・表紙屋・糶屋・古屋・せどり・行商屋・貸屋などもある。これら書物と屋とをめぐる物の呼称が著しく多いのは、区別して認識する必要があるほど、を取り巻く文化的環境が多様化し成熟していたことを示すものと思われる。 さて、近世初頭の活字印刷技術の伝来によって古活字がうまれ、さらに

  • あの日の焼きそばと「PV=C/(r-g)」|岡田 悠

    投資銀行の勤務時間は9時5時で、これは朝9時から朝5時の意味である。終電を見送りながら晩御飯をべ、始発と競争する毎日だった。帰宅してシャワーを浴びたらスーツを着て、そのまま玄関で寝た。 僕がそんな世界に入ったのは、大学を2留したからだ。それでも受け入れてくれる会社を探していた。面接ではたまたま前日に観たニュースについて聞かれ、僕はまるでイタコのようにニュースキャスターの口ぶりを真似した。そのまま偶然入社できたのは最高にラッキーだったか、もしくは最高にツイてなかったと思う。 投資銀行では、皆が忙しかった。横のデスクの先輩は今日で300連勤だと謎の記念日を祝っているし、別の先輩は事を効率化するためピザしか口にせず、またある先輩は服を洗う時間が勿体無いと毎日新品のワイシャツを着ていた。そんな愉快な職場だった。 ただそういう偉大なる先輩たちと僕の間には決定的な違いがあって、彼らの多くが抜群に仕

    あの日の焼きそばと「PV=C/(r-g)」|岡田 悠
  • 長野県・郷土の作詞家「高野辰之」

    高野辰之【たかのたつゆき】(M9/1876~S22/1947):豊田村出身の国文学者,1910年東京音楽学校(現,東京芸術大学音楽学部)教授となる。広く文献資料を収集・考証し,邦楽,歌謡,演劇の芸態とその史的研究の先駆者として未踏の分野を開拓した。1925年論文「日歌謡史」により文学博士の学位を受け(翌年刊行),1926年から東京大学で日演劇史を講じた。のち大正大学教授に就任。晩年は、野沢温泉村の別荘で過ごした。 小学唱歌の作詞者として著名。その代表作として、彼の幼少を過ごした信州の自然を織り込んで作詩した「故郷」「おぼろ月夜」「紅葉」「春がきた」「春の小川」 などがある。いずれも今でも皆にに親しまれている郷愁を誘う歌である。先に挙げた四曲は、平成元年NHKがおこなった「日のうた ふるさとのうた」100選に選ばれた曲である。 また、郷里の豊田村には、「故郷」の記念碑・高野辰之記念館が

  • 高野辰之記念 野沢温泉 おぼろ月夜の館斑山文庫 高野辰之記念ルーム

    高野辰之記念 おぼろ月夜の館 斑山文庫 (信州野沢温泉) Nozawa Onsen Takano Tatsuyuki Memorial Oborozukiyo-no-yakata Hanzan Bunko Museum Information 利用案内 Information 利用案内 Access アクセス Enquiry お問い合わせ About Tatsuyuki 高野辰之博士 Permanent Exhibition 高野辰之博士記念ルーム His Works 収蔵品紹介高野辰之博士の業績 Collection 収蔵品 Collection 収蔵品紹介 Exhibitions & Events イベント Exhibitions 特別展 Events イベント News おしらせ News おしらせ Museum cafe&shop カフェ&ショップ Museum cafe 菜の花

  • 小林一茶について | 一茶記念館

    おとな(高校生以上) 500円(450円) こども(小中学生) 300円(260円) ※( )内は20名以上の団体料金 ※障がい者手帳ご提示の方と、 付添いの方1名まで半額 一茶の句 俳人小林一茶の生涯 小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県の北部、北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれ、名を弥太郎といいました。3歳のとき母がなくなり、8歳で新しい母をむかえました。働き者の義母になじめなった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出されました。奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころには、俳句の道をめざすようになりました。 一茶は、葛飾派三世の溝口素丸、二六庵小林竹阿、今日庵森田元夢らに師事して俳句を学びました。初め、い橋・菊明・亜堂ともなのりましたが、一茶の俳号を用いるようになりました。 29歳で、14年ぶりにふるさとに帰った一茶は、後に「寛政三年紀行」を書きました。30歳から36歳

  • 松下竜一「狼煙を見よ」東京・北(写真で見る文学周遊)

    日々のニュースの風景を切り取った写真や、スポーツなどテーマごとに特集した写真を見ることができます。

    松下竜一「狼煙を見よ」東京・北(写真で見る文学周遊)
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