幸先良いスタートを切ったかと思われた今季のディナモ・ザグレブですが、3戦目にして化けの皮が剥がれてしまいました。 昨日、チャンピオンズ・リーグ予備戦2回戦の第2レグ「ルカ・コペールvs.ディナモ・ザグレブ」が行われたのですが、ディナモは0-3の完敗。初戦のホームで5-1と勝利していたことで、かろうじて3回戦進出を決めたものの、GKブティナの好セーブが無ければ「0-4」で敗退、という最悪なシナリオも起こりうる試合でした。 中盤でプレスがかからず、ディフェンスラインの動きもチグハグ。シヴォニッチ、ドドー、スレピチュカのFW陣に存在感はなく、MFサミールが攻撃で一人空回りするのみ。 ザイェッツ監督は3回戦の相手が決まる「ディナモ・ティラナvs.シャリフ・ティラスポル」を現地視察したため、采配をアシスタントに任せたのも士気に影響したですが(ザイェッツ監督のこの行動に関しても批判あり)、攻守に渡って
2010年07月16日 ディナモFWマリオ・マンジュキッチ、ヴォルフスブルクに移籍 クロアチア代表であり、ディナモ・ザグレブのエースとして3年間君臨してきたFW/MFマリオ・マンジュキッチ(24)がブンデスリーガのヴォルフスブルクへの移籍に合意しました。移籍金は900万ユーロとされ、年俸は150万ユーロ+プレミア給とされています。 スラボンスキ・ブロド出身のマンジュキッチは幼少時代を父の出稼ぎ先であるドイツで過ごし、当地のユースでキャリアをスタート。10歳でクロアチアに戻ると、地元クラブのマルソニアを経て2005年に一部のザグレブへ。そこで頭角を現し、2007年夏、エドゥアルドをアーセナルに売却したばかりのディナモが150万ユーロの移籍金で獲得しました。 強靭なフィジカルと負けず嫌いな性格で直ぐにレギュラーを獲得すると、その年にはUEFAカップでアヤックスを倒す延長戦の2ゴールを決め、20
2010年07月10日 日本がモデル 中国サッカーの改革がスタート 中国サッカーの「韋迪(ウェイ・ディ)改革」が本格始動だ。 中国サッカーの総責任者、韋迪氏は、今後、日本を参考に、ユース年代の育成制度の拡充を目指すと発表した。サッカー専門紙「体壇週報」が伝えた。 具体的には、13歳以下、15歳以下、17歳以下という年代別に育成を行い、その中から、優秀な選手を選んで、国際試合への参加や欧州留学などのチャンスを与える、いわゆる「トレセン方式」を実施する。また全国を4地区に分け、各年代のリーグ戦を省・地区・全国大会の各規模で実施するという。 さらに日本と韓国にも働きかけ、各年代の4~8チームを招き、交流試合を行う。中国サッカー協会によると、すでに日本側は同意しており、韓国も招いて、「中日韓ユースリーグ」の構想もあるそうだ。 この4月には、15歳から17歳の若手選手500人を欧州のクラブに留学させ
今から4年前の2006年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会、日本は1分け2敗でグループリーグ敗退に終わり、イビチャ・オシム監督が就任して4年後の2010年を目指すことになった。オシムは「日本のサッカーを日本化したい」と述べ、この「日本化」は新しい日本代表のキーワードになる。 チームを編成する上で選手の特徴を把握してそれを生かすのは鉄則だが、監督によって何に着目し、生かそうとするのかは違いが出てくる。日本選手の特徴としては運動量、止める蹴るの技術、敏しょう性などがあるが、07年アジアカップでオシムが作ったのは、3人のプレーメーカー(遠藤保仁、中村俊輔、中村憲剛)を併用した創造性を生かそうとする攻撃的なチームだった。 その年の終わりに病に倒れたオシムに代わり、岡田武史監督が就任する。岡田監督は前監督時のメンバーを引き継ぐ形でスタートしたが、やがて「オレ流」に変化した。中村俊、長谷部誠の欧州
自国のふがいない敗退もあり、フランスでは日本や韓国のチームワークにスポットが当たっている 【ロイター】 対デンマーク戦での勇敢な戦いぶりで、欧州メディアの日本への評価はさらに急騰した。いまやみんなが口々に「今大会のサプライズはアフリカ勢だと言われていたが、ふたを開けてみれば、それはアジア勢だった」と言っている。 その中でも「韓国は強化試合から強く、ある程度予想されていたが、大会前に勝てていなかった日本の台頭は、今大会の真のサプライズ」だそうで、まとまりのない欧州の強豪が崩れていく中、「日本や韓国のチームワークを見習え!」という言葉が連発されている。大会前、「クリスティアーノ・ロナウドの並外れた個人技が……」うんぬんと騒いでいた彼らが、個人の集団だったフランスの崩壊と日本の奮闘で、「サッカーの真のスペクタクルはチームプレーにある」という観念に目覚めたようなのだ。 カメルーンに勝った時点か
南アフリカ戦後のアンリ(左)とリベリー(右)。フランスはグループリーグ最下位で大会を去った 【ロイター】 ここ4年、ピッチ上で結果を出せないにもかかわらず、才能ある集団と自負し続けていたフランス代表の化けの皮は、荒々しくはがされた。国際舞台で活躍できるだけの技術的、精神的能力を欠いていた“レ・ブルー”(フランス代表の愛称)は、ピッチの外でのおろかな振る舞いで恥の上塗りをし、文字通り「崩壊」したのである。 大会前からフランス国内の期待は低かったとはいえ、ここまで落ちるとは誰が想像しただろうか。元オセールの名物監督で、今回テレビの現地リポーターを務めたギ・ルーは、初戦のウルグアイ戦(0-0)後、「大会前の6カ月間いいプレーができなかったチームが、ワールドカップ(W杯)になったからといって突然いいプレーができるわけがない」と言ったが、皆がそう言いたい口をつぐんでいたのは、2006年ドイツ大会の
ビディッチのペナルティーエリアでのハンドは衝撃だった。味方も敵もサポーターも、そして「訳が分からなかった」と話す本人もびっくり。初戦のクズマノビッチに引き続き、今度は守備の要であるビディッチが同じ過ちを犯したことで、セルビアだけが南アフリカでバレーボールのワールドカップ(W杯)に参加していたことが判明したのである。これはもう、お笑いの世界だ。 それでも「結果良ければすべて良し」。セルビアはヨバノビッチのゴールを守り切り、ドイツに1−0で勝利。それは、48年ぶりの白星だった。GKのストイコビッチがポドルスキのPKを阻んだことで、一連の事件はセルビアが良質のドラマを作り上げるための最高のスパイスとなった。 試合後にビディッチは語った。 「ストイケ(ストイコビッチの愛称)がPKを見事に止めてくれたね。本当に素晴らしい活躍を見せてくれたと思う。だから、彼に言ったんだ。『何か欲しい物があれば、
昨秋、神宮大学生最速の156キロを記録し、ドラフト1位候補として最終学年を迎えた中大・澤村拓一(4年=佐野日大高)。今春のリーグ戦でも5月7日の東洋大1回戦で、自身の記録を更新する157キロを計測するなど、強烈なインパクトを残した。投球成績も8試合に登板して5勝3敗・防御率1.23・5完投と申し分のない内容を残し、最優秀投手賞を獲得。名実ともに“東都最高の投手”となった。その澤村がリーグ戦で見せた“すごみ”と“もろさ”とは!? ■確立された「先発完投」 相手に与える“すごみ” 澤村の長所は球速よりも、むしろ8試合66イニングで打者253人に対し、与四死球16というまとまった制球力にある。それがはっきりと表れたのが、延長10回を135球で投げ切った国士大1回戦(4月13日)だ。チームにとっての開幕戦となったこの試合は、2点を先制しながらエラーが絡んで追い付かれる嫌な展開。しかし、6回以降を1
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く