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ブックマーク / shinnji28.hatenablog.com (64)

  • 大学職員は教員と仲良くしましょう - 松宮慎治の憂鬱

    munyon74.hatenablog.jp こちらを拝読して,タイトルを反転させつつ,思ったことを書いてみようと思い立ちました。 ただ、教員と職員、って、ある意味反対の仕事、だと思うのですよね。教員は「自由にやろうよ」「学生のためになるよ、こっちのほうが」みたいな意見をもっている一方、職員は「いや、そんなこと言っても、ルールがありますから」「管理しないと困ります」という主張になります。まあ、職種としては当然ですよね。 お互いのことを踏まえるためには,職員も「学生のためになるよ,こっちのほうが」って思ったり,逆に教員側が「それはやりすぎだろう」と言ったりして,やや逆のスタンスを意図的にとればうまくいくんじゃないかなと思っております。 なので、教員は、機会を見つけて、職員と少し話をしてみるといいな、と思っています。まずは「仕事、大変ですよねー」っていうあいさつとかでもいいのでは、と思います。

    大学職員は教員と仲良くしましょう - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2018/11/03
    "基本的には,一緒に働いている先生には,極力教育や研究という,大学のコアに注力していただく,そのための時間をいかに生むか,ということを重視する日々です"
  • 手持ちのカード(選択肢)が増えるのはいいことばかりではない - 松宮慎治の憂鬱

    以下の記事を拝見した。 kakichirashi.hatenadiary.jp こちらで書き散らし氏が指摘するように,手持ちのカードを増やすということは重要である。 手持ちのカードが増えるということは選択肢が増えるということで,選択肢が増えるということは自分で決められることが増える,ということだからである。 そのことに異論はない。 ところで,この種の議論はもう一つ踏み込んだ論点が存在すると思っている。 それは, 「選択肢を増やすことは,その人にとって幸せか否か」 ということである。 選択肢が増えるということは,やれることが増えるということではある。 ただ一方で,義務や責任も増すということでもある。 「手持ちのカードは増やしました。でもこのカードは自分の便益のためだけに使います」ということが,実際には難しい。 できることが増えたら,その力を周りの人や社会から「活用させてくれ」と言われるのが普

    手持ちのカード(選択肢)が増えるのはいいことばかりではない - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/11/27
    カードを利用されてしまって、いままさにこんな感じに追い込まれてる。分かりすぎる。"義務や責任をあえて背負いこむことになってしまい,しかもそれを投げ出すこともできないという隘路に追い詰められはしまいか?"
  • 好きな仕事につくのではなく、ついた仕事を好きになりたい - 松宮慎治の憂鬱

    唐突ですが、就活の思い出話です。 ぼくが就職活動をしたのは2006-2007年にかけてで、リーマンショック前の好景気でした。 特に金融機関はすごく積極的に採用活動をしていた印象です。 そんな中、学生時代終始ものぐさに過ごしてきたぼくは、どんな仕事をしたいか等ということは皆目見当がつきませんでした。 あえていえば、「働きたくない」とだけ思っていました。 ネオニートというキーワードをご記憶の方もおいでかと思います。 できればネオニートのようになりたいと考えていました。 白樺派みたいな有産階級を羨んでいました。 しかしながら、働かずに生きることなど大富豪でもなければ不可能です。 なので、働くというのは絶対です。 そういう逡巡を経ていたった結論は、 好きな仕事につくのではなく、ついた仕事を好きになろう というものでした。 そもそも俺、働いたことないんやから、どんな仕事をしたいかなんてわかるわけない

    好きな仕事につくのではなく、ついた仕事を好きになりたい - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/11/09
    "合う合わない、好き嫌いというのは、「合わせに行く」「好きになる」要素によって結構変動します。 それが過剰すぎるとまた別の問題を生むわけですが、まずは「合わせる」「好きになる」が、自分には合っていました"
  • 他人がしている自分の噂なんてどうでもいいんですよ - 松宮慎治の憂鬱

    他人がしている自分の噂なんてどうでもいいんですよ。 そんなものは気にしないことです。 あなたの噂をしている人は,あなたにとって当に大切にしたい人ですか? たぶん,そんなことはないと思います。 誰かがあなたの噂をしているとしましょう。 ひょっとすると,それは悪口めいたものかもしれませんね。 一方的な批判かもしれないし,あたかも嫌われているように感じるような中身かもしれません。 しかし,実はそれは,単に酒の肴として,楽しむための適当な素材として,あなたを利用しているだけのことです。 適当な素材ですから,なんだっていいんですよ。 たまたま今回,あなたが対象になっただけのことです。 芸能人の不倫にコメントをつけるのと同じです。 そういう人はどういう人ですか?もちろん,ヒマな人ですね。 やりたいことがたくさんあってイキイキしている人に,他人の噂話をしている時間はありません。 ヒマな人が,楽しむため

    他人がしている自分の噂なんてどうでもいいんですよ - 松宮慎治の憂鬱
  • 電通社員の自死とその労災認定に寄せて - 松宮慎治の憂鬱

    標記のニュースを拝見して,気分が沈んでいた。 この理由はなんとなく自分でもわかっていて,亡くなった方のツイッターを見てしまったからだろう。 また,自分のフォロワーは教育関係者が多いので,議論というか,この件に関する意見交換が結構なされて,深く考え込んでしまったということもある。 ツイッターというのは,いわゆる「社畜アカウント」的なつぶやきが結構流れるし,時には自分自身がしていることもある。 フェイスブックと違ってそういったネガティブな情報も流れやすいのがツイッターである。 件の方は,長時間労働に加えて,パワハラ・セクハラ,いびりを受け,ほとんど人間としての尊厳を失っていたと推量できる。 そのような状態に陥ると,退職・休職,バックれるといった判断自体が困難になってしまう。 したがって,誰か第三者が介入して,無理やり休ませたり,退職させたりする必要がある。 それをすべきなのは第一には上司や同僚

    電通社員の自死とその労災認定に寄せて - 松宮慎治の憂鬱
  • 4ヶ月ぶりに東京に行った - 松宮慎治の憂鬱

    全私教協の委嘱された部会の会議があって、4ヶ月ぶりに東京に行った。 土曜日のことだ。 4ヶ月も東京に行かなかったのは、久しぶりのことだった。 なにしろ、2013年から課程認定の仕事や、それこそ全私の委員会等で、1ヶ月に1回は東京に行っていたので。 久しぶりに行って思ったのだが、やはり東京は楽しい町だ。活気がある。 たとえば吉祥寺とかはいい雰囲気だ。 あと、行ったところがあるところとしては、都電荒川線沿線がすごくよかった。 行った土曜日は、ちょうど隅田川の花火大会の日で、だからちょっと浮ついた感じもあった。 自分は京都府で生まれ育って、そのあと神戸に住んで、まあいまは半分は東広島に住んでいるので、どちらかといえば生活が西に寄ってきた。 学生のとき付き合っていた女の子が、東京で働きたいと言っていて、ぼく自身は変な対抗意識もあって、そのときは、「は?俺は関西が好きやし」などと思っていた。 でも、

    4ヶ月ぶりに東京に行った - 松宮慎治の憂鬱
  • 村本大輔(ウーマンラッシュアワー)の選挙に関する演説は、ネットTVに留めるにはもったいなさすぎる - 松宮慎治の憂鬱

    アベマTVというインターネットTVが4月から開局している。 その中のアベマプライスという番組で、 ウーマンラッシュアワーというお笑い芸人のボケの方である村大輔氏が堀潤氏とともにMCを務めている。 その番組の中で彼は先日、「選挙に行ったことがない」と言い、いわゆる炎上が起こった。 しかし実はそれは嘘で、「選挙に行ったことがない」と言うことで意図的に炎上を起こし、 さらに番組内で「選挙に行ったことのない村に、選挙に行くよう説得する」というコーナーをすることで、 「コンビニの前でタムロしてるヤンキー」や、「堀潤さんと出会う前の自分」に響かせたかった、という種明かしがさきほどなされた。 その一連の演説がすごかった、という話である。 生放送だったので、文字起こしできないのが残念だ。 ぼくなりに解釈すると、彼の根源的な主張は3つだった。 1つは、外形としての投票率よりも、内実としての関心が重要であ

    村本大輔(ウーマンラッシュアワー)の選挙に関する演説は、ネットTVに留めるにはもったいなさすぎる - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/07/11
    "そういった社会の上澄みでない人にアプローチするには、自分の足元や生活と関連づけることが必要だということ"
  • 「大学評価・学位授与機構」が「大学改革支援・学位授与機構」に名称変更されたの知ってた? - 松宮慎治の憂鬱

    少し前から気になっていたのだが,2016年から「大学評価・学位授与機構」が,「大学改革支援・学位授与機構」に名称変更されている。 自分がこれに気づいたのは,学会のときに機構の先生の所属が変わっていたからだ。 どうも国立大学財務・経営センターと統合されたことによって,名称も変わったらしい。 この名称には,ん?という気持ちがないでもない。改革支援というのはあまりにも…というか。 そして,よく披見していた財務・経営センターの紀要はどうなってしまうのだろう。 もう発行されなくなってしまうのだろうか。

    「大学評価・学位授与機構」が「大学改革支援・学位授与機構」に名称変更されたの知ってた? - 松宮慎治の憂鬱
  • 仕事において,「頑張っていたらいつか誰かが気づいてくれる」と考えるのは甘え - 松宮慎治の憂鬱

    「頑張っているのに評価されない」は当か? 「頑張っているのに評価されない」と話す人がいる。 自分はこんなにも頑張っているのに,なぜ評価されないのだろう,という悩みである。 しかしながら,この主張は妥当ではないと考える。 頑張っているか,いないかを評価するのは,自分ではなく他人である。 したがって,自己評価がそのまま他人の評価であると思うのはおかしい。 自己評価と他人の評価には必ずギャップがある。 その事実を正面から見つめれば,他人の評価に比べて自己評価が高すぎるか,他人の評価が正確でないのか,がおのずとわかる。 もし前者であるなら,そうした悩みを吐露する前にすべきことがあるし,もし後者であるなら,正確な評価を働きかける必要がある。 自分が思うほど,他人は自分に興味がない 他人は,自分が思うほど自分に興味をもっているわけではない。 ゆえに,何もしなくても頑張ってたらいつか誰かが気づいてくれ

    仕事において,「頑張っていたらいつか誰かが気づいてくれる」と考えるのは甘え - 松宮慎治の憂鬱
  • 仕事の力に個人差は当然あるが、それは各々の個性(特徴)と不可分な関係にある - 松宮慎治の憂鬱

    「あいつはできない」論について 自分以外の誰かを「仕事ができない」と断じることに以前から疑問をもっている。 まさしくそれは「断じる」ということだからだ。 誰かをそんな風に評価できるほど,自分は立派ではないと思っている。 「ウソをついたことのない人だけが石を投げなさい」状態である。 一方,個人の力に差があるということもまた事実ではあると考える。 というのも,「できない」ということは言えずとも,「できる」ことはすぐに分かってしまうからだ。 個人の力に差がないのであれば,「できる」ことも来はわからないはずである。 しかしながら,「できる」かどうかというのは,少しでも一緒に仕事をすればわかってしまうのである。 「できる」「できない」は環境要因も大きいという問題 ところで,このように「できる」「できない」を考えるとき,その人が得意なことを発揮しうるか,という環境要因も重要になる。 すなわち, ベー

    仕事の力に個人差は当然あるが、それは各々の個性(特徴)と不可分な関係にある - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/06/20
    "自分以外の誰かを「仕事ができない」と断じることに以前から疑問をもっている。まさしくそれは「断じる」ということだからだ。誰かをそんな風に評価できるほど,自分は立派ではないと思っている"
  • 職員の仕事は厳格化する課程認定に対応することではない - 松宮慎治の憂鬱

    全私教協の研究大会でもう1つ印象に残ったことがあります。 厳密な表現を忘れてしまいましたが,1日目のシンポジウムで,森田真樹先生(立命館大学)が標記のようなことを仰っていたと思います。 もう少しマイルドなお言葉でしたが,「この中には職員の方もたくさんおられるから怒られるかもしれないけど…」という流れで,私立大学としての質的なありよう,のようなものを考えなければならない,という文脈だったように思います。 以前,森田先生は論文*1の中で,課程認定行政の厳格化に苦言を呈されていたので,そうしたことは仰るかなとは思っていました。 個人的には,厳格化言説には異論がありますが,私立大学の事務職員が政府の方針に対して応答的に過ぎるのではないか,という問題意識は以前から感じていて,そこはおこがましいですが共通しているなと感じました。 またホームページにPDFがアップされようかと思いますが,『阪神教協リポ

    職員の仕事は厳格化する課程認定に対応することではない - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/06/01
    同意。課程認定の他にも多々あるなあ…。改革総合支援事業の登場以来、補助金交付に関わる部分は従わざるを得ず、自学らしさを出せないジレンマが"私立大学の事務職員が政府の方針に対して応答的に過ぎるのではない
  • 【解説】サルでもわかる中教審答申(2)『​新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)』 - 松宮慎治の憂鬱

    昨日は、22日に出た答申のうちの一つについてのラフ解説を掲載しました。 【解説】サルでもわかる中教審答申(1)『​子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた​柔軟かつ効果的な教育システムの構築につい​て(答申)』 - 松宮慎治の憂 今日はもう一つの方をとりあげます。こちらです。 新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)(中教審第177号):文部科学省 答申の名前 新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について~すべての若者が夢や目標を芽吹かせ、未来に花開かせるために~ 示されている提言 主には三つです。 ①学習指導要領を抜的に見直す ②大学では、カリキュラム・マネジメントを確立する ③入試では、思考力・判断力・表現力を中心に評価する新テスト導入 それにしても、副題

    【解説】サルでもわかる中教審答申(2)『​新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について(答申)』 - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/05/31
    "いずれにせよ、このように大きな変化の時代に大学で働けるというのは、すごいチャンスですし、この幸運に感謝したいと思います"
  • 制度改正のスケジュール感について―目的養成はSTAY,開放制はGO— - 松宮慎治の憂鬱

    昨日掲載した分科会の記録で,私が次のような質問をしています。 ■質問②制度改正のスケジュールについて(松宮) ・制度改正を見据えた見通しについて,「カリキュラム改正」を念頭に置いた場合のことをお伺いしたい ・担当者の音としては,制度改正より前のタイミングでカリキュラム改正をしてしまうと,制度改正が起こったときにまた再課程認定申請をしなければならなくなる。これを避けたい ・一方で,私立大学の経営判断では,学生募集等の改善に向けて,早めに「カリキュラム改正」を行いたいということもありうる ・その上で,制度改正の時期は不透明だが,学位プログラムとの相当関係を深める方向性であれば,再課程認定申請でも大きな葛藤は生じないだろうと感じている .・すなわち,目的養成は待った方がいいが,開放制は今すぐ改正しても大きな問題にならないだろうと思っている。感覚的な話になってしまうが,大きく間違っていないか教え

    制度改正のスケジュール感について―目的養成はSTAY,開放制はGO— - 松宮慎治の憂鬱
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    riddim_m 2016/05/31
    "現在の制度改正の趣旨は私立大学の裁量を大きくしようとするものであって,そのこと自体が大きく変更されないということ"
  • 「インストラクショナルデザイン入門編・大阪会場」に参加 - 松宮慎治の憂鬱

    標記の研修に参加しました。 インストラクショナルデザインは近年注目されている考え方でして、文献等で読んだことがあったのですが、今一つどういうものなのか掴めませんでした。 そのため、一体どういう考え方なのか?という基礎的なことを知ろうと思って行ったのですが、収穫は予想以上でした。行ってよかったです。 以下に内容を報告します。例によってメモのようなものですが、ご容赦ください。 ※掲載にあたり、許可は得ておりません。問題がありましたらご連絡いただければと思います。 平成26年度 熊大学公開講座 インストラクショナルデザイン入門編 日時:2014年11月9日(日)10:00~16:30 会場:大阪駅前第3ビル テーマ:理論編 IDを知る! 【成果】 ・IDの基の「き」が理解できた 【反省点】 ・いつものことだが、もう少し参加者の方とコミュニケーションをとるべきだった 【所感】 医療分野からの参

    「インストラクショナルデザイン入門編・大阪会場」に参加 - 松宮慎治の憂鬱
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    riddim_m 2016/05/31
    ADDIEモデル / ガニエの9教授事象 / ARCSモデル
  • 「第6分科会:課程認定に係る近年の動向と留意事項等について」の記録@全私教協第36回研究大会 - 松宮慎治の憂鬱

    以下の記事にアクセスをいただいていますが、こちらは一年前のものです。 2017年度版は、こちらをご覧ください。 2017年度:全私教協第6分科会における尾白専門官との質疑応答(松宮部分) - 松宮慎治の憂 (以上、2017.7.11追記) 記録を置いておきます。 あくまでもメモですので,内容の全責任は私にあります。 記載することそのものに問題がありましたら,関係者の方ご連絡ください。 ブログのトップに,私のメールアドレスがありますので。 重要そうなところには,赤字をひきました。 第6分科会:課程認定に係る近年の動向と留意事項等について 山口大地氏(文部科学省初等中等教育局教職員課) ◇小中免許状の併有を支援するための教職課程認定基準の改正について ・同一学科で授業科目を共通に開設できる特例である ・改正前と改正後で小中間の共通開設可能な範囲が定められている ・複数の校種の内容が両方授業内

    「第6分科会:課程認定に係る近年の動向と留意事項等について」の記録@全私教協第36回研究大会 - 松宮慎治の憂鬱
  • 『文部科学教育通信』No.387に,拙稿「私立大学等改革総合支援事業によるIRの「流行」とその問題点」を掲載いただきました - 松宮慎治の憂鬱

    もしよろしければ,ご高覧ください。 http://www.kyoikushinsha.co.jp/book/7387/index.html

    『文部科学教育通信』No.387に,拙稿「私立大学等改革総合支援事業によるIRの「流行」とその問題点」を掲載いただきました - 松宮慎治の憂鬱
    riddim_m
    riddim_m 2016/05/21
    まさに気になってたところ、どまんなか。"私立大学等改革総合支援事業によるIRの「流行」とその問題点"
  • 池井戸潤『BT'63(上)(下)』(講談社文庫)を読了 - 松宮慎治の憂鬱

    BT'63という名前のトラックを基点に,父と息子の関係を描いた作品。 タイムトラベルものでもあります。 BT’63(上) (講談社文庫) 作者: 池井戸潤出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/06/15メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (5件) を見るBT’63(下) (講談社文庫) 作者: 池井戸潤出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/06/15メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 1回この商品を含むブログ (4件) を見る

    池井戸潤『BT'63(上)(下)』(講談社文庫)を読了 - 松宮慎治の憂鬱
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    riddim_m 2016/05/17
  • 内館牧子著『終わった人』(講談社)を読了 - 松宮慎治の憂鬱

    岩手県盛岡市から東大法学部に進学し,卒業後万邦銀行に入社。 エリート街道を進むも,49歳のある日,「たちばなシステム株式会社」に出向。 失意のうちに定年を迎えた,「終わった人」の「終わったあと」の物語。 内館牧子は脚家だと思っていたが,このように素晴らしい作品も書いてらっしゃるのだなと思った。 終わった人 作者: 内館牧子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2015/09/17メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (4件) を見る

    内館牧子著『終わった人』(講談社)を読了 - 松宮慎治の憂鬱
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    riddim_m 2016/05/16
  • 読了した文献(43) - 松宮慎治の憂鬱

    ◇荒木俊博(2016)「履修者人数と授業アンケート結果の関連についての検討」『大学評価とIR』第5号,pp.36-43. ◇清水裕士(2016)「フリーの統計分析ソフトHAD」:機能の照会と統計学習・教育,研究実践における利用方法の提案」『メディア・情報・コミュニケーション研究』1,pp.59-73. ◇林智幸(2010)「量的研究家は質的データ分析法をどのように学ぶか」『静岡英和学院大学・静岡英和学院大学短期大学部紀要』8,pp. 157-166. ◇村澤昌崇(2009)「高等教育における政策波及と機関の意思決定に関する研究序説:大学設置基準大綱化以降の自己点検・評価活動の波及に関するイベント・ヒストリー分析」『大学論集』第40集,pp.69-85. ◇佐々木尚之(2009)「JGSS統計分析セミナー―イベントヒストリー分析の適用例」『JGSSで見た日人の意識と行動 : 日版Gene

    読了した文献(43) - 松宮慎治の憂鬱
  • 白石裕著『分権・生涯学習時代の教育財政―価値相対主義を越えた教育資源配分システム』(京都大学学術出版会)を読了 - 松宮慎治の憂鬱

    白石先生のご専門は教育行財政学である。 私立大学の補助金のことを考えるにあたって,ここ最近教育行政学関連の文献を講読している。 こちらのも,教育資源配分の方法について詳細に述べられていて,大変勉強になった。 特に勉強になったのは,中央集権的な資源配分方法が必ずしもナショナル・ミニマムを達成することにはつながらない,とされているところである。 国が教育サービスの内容を決定し、それについて経費を負担すればナショナル・ミニマムが達成されると考えることは早計である。むしろ地方に教育の多様な試みを認め、奨励することによってナショナル・ミニマムを実質化し、改善し、向上する方策をとることが求められるのである。(p.181) 中央集権的な資源配分方法がうまくいくとは限らない理由について,筆者は3点を挙げている。 第1に,中央政府が決定したことをただ実行することが地方の役割となると,地方に結果に対する責任

    白石裕著『分権・生涯学習時代の教育財政―価値相対主義を越えた教育資源配分システム』(京都大学学術出版会)を読了 - 松宮慎治の憂鬱
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    riddim_m 2016/05/03
    "中央集権的な資源配分方法が必ずしもナショナル・ミニマムを達成することにはつながらない"