「原発のある町」で育った。実家から原発までは8キロの距離。同じ町に暮らす祖父母の家からはわずか1.5キロ、少し高台にある畑からは原発の排気口が見える。 約45年前、原発の建設計画が発表された。町は賛成と反対に二分された。近所同士、親戚同士でも意見は割れた。文字通り「原発を抱えることになる」祖父母の集落では、住民投票が行われた。だが開票直前に県(町)が介入。投票箱が開けられることはなかった。電力会社は住民の説得に菓子折り以上のものをちらつかせた。ひとり、またひとりと反対派が減っていった。 着工から5年、運転が始まった。町内の全戸に小さなスピーカーが備え付けられた。原発で何か異常が発生した際、「真っ先に情報が伝わるように」と。でもこのスピーカーから、本当に必要な情報が入ってきたことは一度もない。何かトラブルがあっても、住民が知るのは後日、数カ月後に新聞で。臨界事故は8年間、隠蔽されていた。いつ