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訃報に関するshigak19のブックマーク (123)

  • 歴史修正主義者の極右政治家、永眠。 - 誰かの妄想・はてなブログ版

    極右政治家の奥野誠亮氏が亡くなりました。 これを報じる産経記事に以下のような記載があります。 2016.11.17 10:50更新 奥野誠亮元法相が死去、103歳 保守政治家の最長老 国土庁長官だった62年5月には、国会で、先の大戦について「日に侵略の意図はなかった」「盧溝橋事件は偶発的」などと答弁したことが批判され、閣僚を辞任した。 http://www.sankei.com/politics/news/161117/plt1611170009-n1.html これ(昭和)「62年5月」ではなく、1988年(昭和63年)の5月です。1987年(昭和62年)5月の時点では奥野氏は国土庁長官ではありません。 そして、この奥野発言に伴う騒動に、最晩年の昭和天皇が言及したのが富田メモとして知られています。 前にもあったが どうしたのだろう 中曽根の靖国参拝もあったが 藤尾(文相)の発言。 =奥

    歴史修正主義者の極右政治家、永眠。 - 誰かの妄想・はてなブログ版
    shigak19
    shigak19 2016/11/18
    旧内務省→自治省のエリートな割に歴史関係での体たらくは、中山成彬とか片山さつきとかの大先輩という感
  • 日本将棋連盟元会長 二上達也九段が死去 | NHKニュース

    昭和の名棋士として活躍し、羽生善治さんの師匠としても知られる、日将棋連盟元会長の二上達也九段が、肺炎のため亡くなりました。84歳でした。 攻めの将棋で知られ、昭和37年の王将戦では、当時五冠を独占していた全盛期の大山康晴十五世名人を破り、初めてのタイトルを獲得したほか、昭和57年には50歳で棋聖戦3連覇を果たしました。平成2年の引退までにタイトルを5期獲得して、昭和の名棋士の1人として活躍し、弟子には史上初めて七冠独占を達成した羽生善治さんがいます。 平成元年から14年間、日将棋連盟の会長を務めたほか、詰め将棋を多くつくったことでも知られ、平成4年に紫綬褒章を、平成14年には旭日小綬章を受章しています。 日将棋連盟によりますと、二上さんは今月1日、肺炎のため茨城県内の病院で亡くなったということです。 弟子の羽生さんは「師匠として将棋連盟会長としていつも大きな存在でした。将棋界に遺して

    shigak19
    shigak19 2016/11/04
    加藤一二三に勝ち越し、A級も連続23期、50歳で中原・米長を破って棋聖位を3連覇した紛れもない大棋士だったけれど、大山にあそこまで徹底的に叩かれた上永世棋聖にはなれなかったりと勝負師としては悲運だったなあ
  • 「聖戦」批判、「紀元節」復活に反対 三笠宮さまの戦後:朝日新聞デジタル

    東京大名誉教授(社会人類学)の中根千枝さん(89)は1947(昭和22)年に入った東京大文学部で、研究生だった三笠宮さまと一緒によく同じ講義を受けた。 ほかの学生たちが遠慮がちに接するなか、中根さんは隣の席に座った。「宮さまが公務で授業を欠席すると、私が自分のノートを貸したり、私が遅刻すると、宮さまが『きょうはここまで』とノートを見せてくれたり。普通の友人のように接していただいた」と懐かしむ。 戦争に対する反省、一般の人々への接し方、そして学問への探求心――。三笠宮さまの振る舞いに対して、中根さんは「縛られない自由さ」を感じていたという。「それは、特別な地位にあったからであると同時に、精神の純粋さがあったからでしょう」と話す。 その純粋さは、言動にも表れた。 戦後、2月11日が「神武天皇即位の日」だとして戦前の「紀元節」を祝日として復活させようという動きに対し、三笠宮さまは歴史学者の立場か

    「聖戦」批判、「紀元節」復活に反対 三笠宮さまの戦後:朝日新聞デジタル
    shigak19
    shigak19 2016/10/27
    この記事で朝日を批判し「皇室の政治利用」とのたまうのは大いに結構、三笠宮の精神を継いで皇室を廃した共和制による民主主義の実現でも議論しましょうや/保守派として普段皇室礼賛の癖に三笠宮黙殺の産経が憎い
  • 三笠宮さま ご逝去 昭和天皇の弟で100歳 | NHKニュース

    宮内庁の関係者によりますと、昭和天皇の弟で、天皇陛下の叔父の三笠宮さまが亡くなられました。100歳でした。三笠宮さまは、急性肺炎と診断されて、ことし5月16日から東京・中央区の聖路加国際病院に入院されていました。

    shigak19
    shigak19 2016/10/27
    皇族最長老として、陸軍参謀からオリエント史研究まで小説の登場人物みたいな経歴だったし、紀元節批判で筋を通したのは凄かったと思う
  • 三笠宮さまご逝去:「新しい皇族像切り開いた方」色川さん | 毎日新聞

    百合子さまに付き添われて聖路加国際病院を退院される三笠宮さま=東京都中央区で2012年8月31日午後1時56分(代表撮影) 三笠宮崇仁さまの友人で東京経済大名誉教授(日近現代史)の色川大吉さん(91)は「立派な方だった。非常に残念で、哀悼の意にたえません」と悼んだ。 戦後、三笠宮さまが東大の研究生になった時に知り合い、「非常に民主的な方」という印象を抱いた。三笠宮さまは「かごの中の鳥みたいに特別扱いをされて育った。こ…

    三笠宮さまご逝去:「新しい皇族像切り開いた方」色川さん | 毎日新聞
    shigak19
    shigak19 2016/10/27
    色川大吉と「友人」の皇族なんて今後まず考えられない
  • http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000086222.html

    http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000086222.html
  • アニメーター二木真希子さんの偉大さが偲ばれるTweetまとめ

    トラッシュスタジオ @trashstudio_yk 【訃報】スタジオジブリ作品を数々手掛けられた、アニメーター二木真希子さんは、病気療養中でしたが、5月13日夕方6時頃にご逝去されました。58歳でした。ご葬儀はご親族のみで執り行われました。謹んでお悔やみ申し上げます。 2016-05-16 16:16:55

    アニメーター二木真希子さんの偉大さが偲ばれるTweetまとめ
    shigak19
    shigak19 2016/10/11
    読んだ時は付け損ねていたので改めて。
  • 訃報:保田道世さん77歳=スタジオジブリ色彩設計担当 | 毎日新聞

    毎日新聞のニュースサイトに掲載の記事・写真・図表など無断転載を禁止します。著作権は毎日新聞社またはその情報提供者に属します。 画像データは(株)フォーカスシステムズの電子透かし「acuagraphy」により著作権情報を確認できるようになっています。

    訃報:保田道世さん77歳=スタジオジブリ色彩設計担当 | 毎日新聞
    shigak19
    shigak19 2016/10/11
    『アニメーションの色職人』を思い出さずにはいられません。二木真希子さんといい、ジブリ以前からのベテランがまた1人
  • 「抵抗3部作」国際的評価 アンジェイ・ワイダ監督死去:朝日新聞デジタル

    「灰とダイヤモンド」など、第2次世界大戦下の祖国の悲劇と抵抗の歴史を描き続けたポーランド映画の巨匠アンジェイ・ワイダ監督が9日、死去した。90歳だった。AP通信が報じた。 北東部の町スワルキに生まれる。第2次世界大戦中に対独レジスタンス運動に参加し、戦後、映画監督としてデビューした。 レジスタンスの体験を基にしたデビュー作品「世代」(1954年)、ワルシャワの武装蜂起を題材にした「地下水道」(57年)、「灰とダイヤモンド」(58年)は「抵抗3部作」として知られ、国際的な評価を得た。 自主管理労組「連帯」の抵抗運動を取り上げた「鉄の男」でカンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを受賞。民主化後の89年から91年まで、上院議員を務めた。 18歳の時、クラクフの国立博物館の「日美術展」で浮世絵など日の古美術と触れたことが、その後の芸術の道へのきっかけとなったとされる。日との関わりは深く、87

    「抵抗3部作」国際的評価 アンジェイ・ワイダ監督死去:朝日新聞デジタル
  • 中村政則先生、逝去 - 有志舎の日々

    歴史学の巨星がまた一人、去っていってしまいました。 日近現代史・経済史の中村政則先生(一橋大学名誉教授)が、昨日亡くなられたとのこと。 実に残念です。 中村先生には、吉川弘文館の新入社員時代からお世話になりっぱなしでした。 最初の出会いは「近代日の軌跡」シリーズ第5巻の『占領と戦後改革』の編者になっていただいたときのこと。今でもそのときの情景が目に浮かびます。 この巻の編者を依頼するべく一橋大学にうかがった時、初対面の私に「吉川弘文館が私に何の用?」とつっけんどんにおっしゃった。その頃、吉川は『国史大辞典』などを出していて全く中村先生などの左派の研究者の方々とは付き合いが無く、後に、「あのときは、君たち吉川が大嫌いだったんだよ。悪かったね」と笑って仰ったように、右翼出版社だと思われていたのでした。 それでも、私は中村先生の書いたが大好きで沢山読んでいたので、戦後史の巻は絶対に中村先生

    中村政則先生、逝去 - 有志舎の日々
  • 田中彰先生のこと - 有志舎の日々

    幕末維新史研究者で北海道大学名誉教授の田中彰先生が亡くなりました。 田中先生は、故・由井正臣先生と共に私を編集者として鍛え、一立ちさせてくれた大恩人です。 吉川弘文館に入社し2年目に「近代日の軌跡」全10巻というシリーズを企画したのですが、これは私が生まれて初めて企画した日近代史の企画でした。どうしても大学で専攻した近代史の企画をやりたかった私が上司相談して起ち上げさせてもらったシリーズです。その編者のなかにお二人がいらっしゃいました。意欲だけはあっても肝心の最新の近代史研究についてはほとんど知らないという若造編集者の私を見て、大ベテランのお二人は「これではダメだ」と思われたに違いありません。「こういう大きな企画をやるためには編集者がまず勉強しなければいけない」とうことで、毎月のように「これこれのを読んでレポートにまとめ私に送るように」という厳命がお二人から出たのです。それからが

    田中彰先生のこと - 有志舎の日々
  • 天野正子先生が逝去されました - 有志舎の日々

    天野正子先生(社会学・ジェンダー学、東京家政学院大学学長・お茶の水女子大学名誉教授)が亡くなられました。 天野先生とは、吉川弘文館勤務時代に『近代社会を生きる』『戦後経験を生きる』という2巻の編者を、安田常雄先生・大門正克先生と共にお願いしたときに知り合い、有志舎を起ち上げてからも『現代「生活者」論』という単著を出版させていただくなど、お世話になりっぱなしでした。 とても凜としていてカッコイイ方でした。そして、ときどき有志舎に電話をくれては、「学術出版を一人でやっていくのって大変なんでしょ。でも、良いを出していて、よく頑張っているわね」と励ましてくださいました。 実は先月、ご自宅に呼んでいただき、ご自身最後の仕事として、ここ数年で書いた論文などをまとめてを出版したいという構想と決意を聞いたばかりでした。そのときには、病いがだいぶ重くなっていてつらそうでしたが、最後まで凜とした姿は健在

    天野正子先生が逝去されました - 有志舎の日々
  • 脇田晴子さん逝去 - 有志舎の日々

    脇田晴子さん(日中世史・女性史)が亡くなったとのこと。 何か、今年は親しかった研究者が亡くなることが多くて当に悲しいです。 脇田さんとは吉川弘文館勤務時代に、PR誌『郷』の「歴史潮流」というコーナー(最新の歴史学のトレンドを紹介していただくコーナー)に3回連載で書いていただいた事がきっかけで、その後、『天皇と中世文化』という著書を編集させていただきました(ただ、刊行は私が吉川を辞めた後になってしまったけど)。 東京に来られたときには突然電話が掛かってきて、「ちょっと東京に来てんのやけど、お茶でも飲まへん~?」と素っ頓狂な明るい声で「デート」に誘っていただいたこともありました。 有志舎を創るときも、京都南郊のご自宅にうかがって、独立後の企画も話させていただき、「近代史やないけど、わたし、「世阿弥論」書きたいのやわ~」と言っていただいて、「もちろん、お願いします!」とお願いしたのでした。

    脇田晴子さん逝去 - 有志舎の日々
  • 女性史研究の先駆者 脇田晴子さん死去 | NHKニュース

    中世の都市や女性史などの研究で優れた業績を残した歴史学者で、文化勲章を受章した脇田晴子さんが亡くなりました。82歳でした。 中世の都市の研究では、当時はヨーロッパにしかなかったと言われていた地域の住民による自治が日でも行われていた実態を明らかにして注目されました。さらに、歴史の中での女性の役割を研究する女性史の先駆者として積極的に執筆活動を行ない、日歴史研究の国際化にも大きく貢献しました。 また、島根県の石見銀山に注目して歴史的な研究を行う調査団の団長を務め、ユネスコの世界遺産への登録に尽力しました。 平成17年に文化功労者に選ばれ、平成22年には文化勲章を受章しています。関係者によりますと、脇田さんは、27日、82歳で亡くなったということです。

    女性史研究の先駆者 脇田晴子さん死去 | NHKニュース
  • 和光大教授の道場親信さん死去 社会運動史を研究:朝日新聞デジタル

    道場親信さん(みちば・ちかのぶ=和光大教授・社会運動史)が14日、胆管がんで死去、49歳。通夜は16日午後6時、葬儀は17日午前11時から東京都新宿区上落合3の4の12の最勝寺会館で。喪主は麻里さん。 愛知県生まれ。戦後の住民運動や50年代のサークル文化運動などを研究した。著書に「占領と平和」「抵抗の同時代史」など。

    和光大教授の道場親信さん死去 社会運動史を研究:朝日新聞デジタル
  • 道場親信さんを悼む - 有志舎の日々

    道場親信さん(日現代史・社会運動研究)が昨日逝去されました。 道場さんと初めて会ったのは12年くらい前、ある書評会があって、そのあとの懇親会でした。 たしか道場さんは書評会自体にはいなくて、懇親会から来られ、私の隣に座られました。 そして、「来ようかどうか迷ったんですよ。明日、電気代払わないと電気止められちゃうんだけど、懇親会に来るとそれでお金なくなっちゃうから」と笑っていた事を憶えています。 まだ非常勤講師と予備校講師を掛け持ちしていて貧乏だったんだと思います。 でも、そこでの議論はものすごく鋭くて「アタマのいい人だなあ」と思いました。 その後、「帝国と思想」研究会にも誘ってもらい参加させていただくなかでさらに親しくなり、数年前には「思想の科学」についての共同研究書出版のお話をいただきました。 そのの編者は道場さんと天野正子さん。残念な事に、お二人ともに亡くなってしまいましたが、

    道場親信さんを悼む - 有志舎の日々
  • 加藤紘一 自民党元幹事長 死去 | NHKニュース

    自民党の元衆議院議員で、官房長官や党の幹事長など政府や党の要職を歴任した加藤紘一氏が、9日、亡くなりました。77歳でした。

    shigak19
    shigak19 2016/09/10
    1990年代を代表する政治家であると同時に、2000年の加藤の乱以降は不遇だったな
  • 「五輪の名花」チャスラフスカさん死去 女子体操で金 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル

    1964年東京五輪の女子体操で三つの金メダルに輝き、「五輪の名花」「東京の恋人」と呼ばれて日でも親しまれた旧チェコスロバキア出身のベラ・チャスラフスカさんが30日、故郷のプラハの病院で亡くなった。74歳だった。 42年、プラハ出身。東京五輪では個人総合、跳馬、平均台で金メダルを獲得。68年メキシコ五輪でも個人総合で2連覇を達成するなど四つの金メダルに輝いた。3度出場した五輪で合わせて11個のメダルを獲得した。 優雅な演技で日を含め、世界中のファンを魅了したが、母国の民主化運動、68年の「プラハの春」を支持する「2千語宣言」に署名したため、迫害を受けた。89年の民主化で名誉を取り戻した後は、大統領顧問やチェコ五輪委員会会長も務めた。 だが、息子が元夫を死なせてしまう事件をきっかけにうつ病を患い、90年代終わりごろには表舞台から姿を消した。10年以上にわたる闘病生活を乗り越えると、日にも

    「五輪の名花」チャスラフスカさん死去 女子体操で金 - 一般スポーツ,テニス,バスケット,ラグビー,アメフット,格闘技,陸上:朝日新聞デジタル
  • 平松守彦氏が死去 前大分県知事、「一村一品運動」 - 日本経済新聞

    特産品づくりを通じて地域の活性化を図る「一村一品運動」で知られる前大分県知事の平松守彦(ひらまつ・もりひこ)氏が21日午後4時52分、老衰のため大分市の病院で死去した。92歳だった。偲ぶ会は9月28日に大分市田室町9の20のレンブラントホテル大分で行うが、時間は未定。喪主は、照子さん。大分市出身。1949年、商工省(現経済産業省)に入省し、旧国土庁長官官房審議官や大分県副知事を経て、79年4

    平松守彦氏が死去 前大分県知事、「一村一品運動」 - 日本経済新聞
  • むのたけじさん死去 101歳のジャーナリスト:朝日新聞デジタル

    戦争絶滅」を訴え続けたジャーナリストむのたけじ(名・武野武治)さんが21日、老衰のため、さいたま市の次男宅で死去した。101歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日、「しのぶ会」を開く。 朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社した。ふるさとの秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。 100歳になった昨年は戦後70年で「歴史の引き継ぎのタイムリミット」といい、講演で各地を飛び回った。今年5月3日に東京都江東区の東京臨海広域防災公園で行われた「憲法集会」でのスピーチで「日国憲法があったおかげで戦後71年間、日人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と語ったのが、公の場での最後の訴えとなった。 2002年に胃がんの手術をし、

    むのたけじさん死去 101歳のジャーナリスト:朝日新聞デジタル