管理人からのメッセージ 2年以上にわたって運営させていただいたブログですが終了すること にしました。万が一アーカイブに利用価値がある場合はパスワード「s imatomoki」でブログ閲覧ができるようにしておくので、ご自由にお使 いくだ
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現在、米国では大統領選挙の予備選が行われています。 現在、激しい論戦の末、民主党と共和党の候補が決められ、その次に各党候補同士の論戦が始まり、選挙を行って大統領が決まります。 ディベートにつぐディベートを繰り返し、多くの候補をふるい落として最後に1人の大統領を決めるまでに、実に1年以上かけていることになります。 この大統領選挙を見ていると、「議論を徹底することで、よりよき民主主義政治を実現しよう」と考える米国社会の仕組みがよく分かります。 空気でモノゴトが決まり、国のトップである首相も選ばれていく日本では、このような仕組みは働かないように思います。 大統領選挙のように議論を徹底してモノゴトを決めていく米国の意思決定の仕組みと、日本でのモノゴトの決まり方を比較すると、日本人と米国人の議論が噛み合わないことが多い理由がよく分かるのではないでしょうか? 米国社会の場合、議論は、前提⇒理論⇒結論で
朝の電車の中で、ふと、日本人は論理的思考に弱いといわれているが、本当にそうなのだろうかという、今更ながらの疑問が湧いてきたので、考えた結果を忘れない内にメモしておく。 論理的思考が弱ければ、戦後ここまで達成してきたようなものづくりができたわけがなく、またその優秀な製品を核にしてのビジネス展開もできたわけがない。論理的思考に強い人はたくさんいるのだ。 一方で、論理的でない思考を基盤において存在する人々もいる。 零式戦闘機の誕生場面を振り返ってみる。 海軍からの次期戦闘機の企画(要求)仕様は、戦闘機として、 (1)当然格闘性能に優れていること(くるくる回る旋回性が良いこと)、 (2)敵戦闘機よりも速いこと、 (3)(太平洋戦域を想定して)行動半径が極めて長いこと、の3点であった。 格闘性能がよいためには、機体はできるだけ軽い方がよい。高速で飛ぶにはエンジンはできるだけ大馬力の方がよい。しかし、
2007年02月22日13:27 カテゴリ イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.com の掲示板の2004年の2月過去記事: >>>>【記事番号:497】 サトリの先にあるもの・2 投稿者: 苫米地英人 投稿日時: 04/02/16 18:53:44 近代宗教(キリスト教、イスラム教、仏教など)は、原始的宗教に一般に見られる矛盾=神と人間の関係が対等であるという立場、もしくは、人間が神を使役するという、人間が神の上位になる関係を避けることで成り立ってきたといえます。例えば、日本の古来の「御利益」の概念は、人間が、一心不乱に祈ったり、水行をしたり、生け贄を捧げたりして、なんらかの犠牲を神に払えば、神がお返しに御利益をくれるという概念です。これは、人間の行為に神が見返りを提供しなければならないという、人間と神を対
引越の片付けは止めて、一日原稿書き。 『論座』の「愛国心論」6000字。 家が変わり、パソコンの位置も変わり、なんとなくキータッチも変わり(コーヒーのしみを拭き取ったせいかもしれない)、いつものようにすらすら書き始められない。しばらく「助走」を重ねる。 夕方近くにようやく浮力を得てテイクオフする。 物を書くときは、この「テイクオフ」までの助走距離がとれるかどうかが質的な分かれ目となる。 「いますぐ書け」といわれれば、そこそこの字数のものは書けるが、「浮力」が得られないで書いたものは、すでに書いたことの焼き直しにしかならない。 そういうものを書いて送稿してしまうと、深い徒労感に襲われる。 わずかでも浮力を得て書かれたものにはたとえ一行であれ、「生まれて初めて思いついたこと」が書かれている。 その一行を手がかりにして一冊の本が生まれることもある。 愛国心についてはこれまでなんどか書いた。 当然
創造力を生む「ガツン」とは何か… 創造性を培うには何をしたらよいか。 昔から、よくある論議のタネだが、この話を始めるとどうも雑談になりがち。 真剣に話していても、議論がすぐに発散するからだろう。 それはともかく、真似では競争に勝てないし、下手をすると知的財産権侵害で手痛い傷を負いかねない時代だ。アイデアの創出体制づくりは緊要の課題との声はそこらじゅうで耳にする。 小生も、年季が入っていると見なされるからか、しばしば質問を受けることがある。 その場合は、創造力を高めたいなら「頭にガツンと一撃」が一番、と語ることに決めている。そう語ると、それ以上細かなことを聞かれることがないから、非常に便利な答えである。 しかし、このことは、「頭にガツンと一撃」の感覚がよくわかっていないということでもある。 それも致し方ないだろう。 なにせ、「頭にガツンと一撃」とは、1980年代に出版された本のタイトル名。(
「不平等社会日本―さよなら総中流」の続編で、単に格差社会ということではなく、格差「ゲーム」となっていることがポイントだろう。そこに何らかのプレイ(演技)が含まれているのである。 具体的には、従来「総中流社会」で繰り広げられて来た「平等ゲーム」と対比になっており、かつて、実態としては否定しがたい格差があったにも関わらず、あたかも皆が「中の下」階層にいるかのように振る舞っていたが、上級管理職や上級公務員といった「中の上」階層に属する人が、実態としてはそれほど変わっていないにも関わらず、もはや「中の下」の奴らとは一緒にするな、という格差をあからさまに表明するふるまいをし出した、ということらしい。マスコミも含めてある面で、格差を肯定する風潮が強まって来ていること、また、格差が世代を超えて再生産される中で、将来に対して格差が解消するような明るい展望を抱けないため、実態以上に「格差感覚」を抱きやすい時
anond:20070628122753 "人を好きになることは、人に期待することだ" これがそもそもおかしい、と言えたらいいと本当に思う。好きな人が笑顔でいられて、幸せでいられることが、すなわち私の幸せだ。心穏やかにそう思えるようになりたい。好きな人が選ぶ将来を、それがどんなものであれ心の底から祝福して、心の中でだけ応援する。そうなるにはどうすればいいのだろう、と真剣に考える。 気がつく。できる。しかももう普通にやっている。古い付き合いの友達。それぞれがんばっていて、あるいはがんばっていなくて、それでも幸せでいて欲しいと思う。たとえ今、どんな状態であろうと、私はあなたのことが好きだし、私のことを好きでいて欲しいと思うよ。何かを期待する訳じゃなく、本当に言える。心の底から。 そんな風になればいい。そうすればいい。簡単なこと。 そうじゃないことは分かってる。そう思える相手には、具体的な期待な
教育関連三法が今日参院を通過する予定だそうである。 安倍首相は昨日の参院文教科学委員会の総括質疑でこう答えた。 「地域を愛する心、国を愛する心を子どもたちに教えていかなければ、日本はいつか滅びてしまうのではないか。今こそ教育の再生が必須だ。」 私は子どもが郷土や国家にたいして愛着を持つことは国民国家にとって死活的に重要であるということについて首相に異存はない。 しかし、「愛国心」というのはできるだけ公的な場面で口にすべきことではない言葉のように思う。 法律文言に記すというようなことはもっともしてはならぬことである。 それは左派の諸氏がいうように、愛国教育が軍国主義の再来を呼び寄せるからではない。 愛国心教育は構造的に人々の愛国心を毀損するからである。 私は愛国者であり、たぶん安倍首相と同じくらいに(あるいはそれ以上に)この国の未来とこの国の人々について憂慮している。 日本人はもっと日本の国
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