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blog.livedoor.jp/profondo_rosso
3週間ほど前から「ターボカップのプリン味が物凄くうまい!」ということを、このブログに書こうとしていたのだが、「一体どうすればこの美味さを不特定多数の人々に詳細に伝えることができるのだろうか?」ということを考えながら何個か食べていく内に、完全に舌がターボカップに飽きてしまった。最早そこには当初感じたあの新鮮な喜びと美味さは残されていない。不愉快に冷たく、ぼんやりとほろ苦く、所々甘い、つまらぬ物体があるばかりだ。私はターポカッププリン味の美味さの本質をとらえる機会を逸した、それも永遠に。こうなると、「そもそもターボカッププリン味は最初から美味かったのだろうか?」という疑いも生じてくる。最初に食べた頃には確かに強烈な感動があり、ターポカッププリン味食べたさに深夜にコンビニにまで行ったほどだったが、今となっては二口ほどでもう満足してしまい、そこから先は「ただ冷たい物を食べている」という程度の感触し
アクアリウムの夜 ページをめくり始めた瞬間から、取り返しのつかない喪失の予感が漂ってくる。何の変哲もない日常の風景が一つ一つ砕け散り、気がついた時には目眩すら起こしそうな狂気の地平に連れ去られている。勿論そこから戻ってくることはできないし、世界を元のように作りかえることもできない。ある土曜日の午後を境に、一人の少年の世界がゆっくりと確実に崩壊していく物語。恩田陸っぽいジュブナイル小説でもあるけど、この小説の中のノスタルジーは、ノスタルジーと呼ぶにはあまりにも重く、そして怖い。本当に物凄く怖い小説だと思う。それは変わりゆく世界が少年から奪っていくものがあまりにも大きすぎるとか、少年がそうなることを半ば予感していながら全く何もできなかったとか、でもそれを言ったらあの時のあの頃の時間というのはみんなそういうもんだよなぁ。この日常がいつかは終わるんだろうなと思っていて、実際そうなって、で、今何も抵
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