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レイングッズ
d.hatena.ne.jp/kasawo
自分の子はみんな可愛いと信じていた。あまりに強く信じていたので内面においてもその他の感情をつぶやくことがなかった。子どもはみんな可愛いのだと、それだけを言語化して、それを「思っていること」にしていた。世話だってちゃんとした。食事も作った。共働きだから四六時中一緒にいたのではないけれど、夫も充分すぎるくらい子育てをしてくれた。不足なんかなかった。彼女はそう思う。 子どもはいつまでも子どもだという親もいるけれども、彼女はそのせりふを理解することができない。二十歳になった息子はもう子ではない。そこいらの若い男だ。ろくに口も利かないし腕力だって自分よりずっと強いだろう。だから距離を感じるのは変なことではない。彼女はそのように思う。上の子とはちがう。上の子は女の子だから。 彼女はそれこそ高校生の時分から、定年まで働くのだと決めていた。彼女は勉強ができたし、ピアノの才能だってあった。田舎の両親に無理を
かわいいと言われたくなかった。正確には、大半の人に言われたくなかった。 なぜ言われたくないのかと問われたら、むしろ「なぜ言われて嬉しいと思うのか」と問い返したかった。守るべき子どもではない成人に対して別の属性の人間が「かわいい」と言うとき、その大半は「御しやすそう」という意味を含む。若い女同士だと別のコードが発生する。たとえば「若い女として価値が高いとされる容姿である」とか「一緒にいるときに都合が良い容姿である」とか、そういう意味である。 わたしはそんなのひとつも嬉しくなかった。 わたしをかわいいと言っていいのは親と仲の良い友だちとつきあいが長くて信頼している彼氏だけだ、と思っていた。そういう相手の言う「かわいい」はわたしに対する評価ではなくその人の感情である。それは言ってくれてもかまわない。わたしも言う。わたしが日常的に感情のやりとりをすることを相互に了解している相手だからである。 それ
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