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掃除・片付け
zhaozhou-zenji.hatenablog.com
2013-11-03 ブッダ「世界は美しい」は後世の捏造。 仏教 ブッダ「この世界は美しい。人間のいのちは甘美なものだ」 最近、瞑想会とか個人のブログとかで話題になっているので気になったのですが。 実は、このセリフ、パーリ経典を探しても、どこにも書いてないのです。 つまり、「ブッダはそんなこと言ってない!!!」のです。 でも、これの元ネタはあります。 長部経典16の『大般涅槃経』です。これは中村元先生の『ブッダ最後の旅』として岩波文庫から出ています。 ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫) 作者: 中村元 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1980/06/16 メディア: 文庫 購入: 2人 クリック: 35回 この商品を含むブログ (29件) を見る では、実際には、なんと言っているかというと、 「アーナンダよ。ヴェーサリーは美しい。ウデーナ霊地は美しい。ゴータマカ霊地は
2014-07-27 心脳問題 メタ宗教 以前ブログで、 「仏教などは、脳など物質的な現象とは別に、「心」というものが存在する立場。だから、唯物論の科学から見れば、仏教が非科学的なのは、定義からして当たり前だ」 という記事を書いた。 この問題は、専門的には「心脳問題」というらしく、哲学、科学の領域で議論されているという。 Wikipediaの「心脳問題」の項目にいろいろおもしろい情報が書いてあったので、紹介。 心脳問題ーWikipedia http://bit.ly/1oui56r 科学の領域では、心は純粋に脳が起こした物質的な現象であるという立場をを「心脳一元論」といい、脳の物質的な現象とは別に「こころ」というものが存在するという立場を「実体二元論」というらしい。 個人的に、重要だと思ったのは以下の箇所。 心脳一元論への批判 脳のニューロンの働きが意識を生み出すという仮説においては、ニュ
ブッダの言葉である「自灯明(Attadīpā)」について。 結論から言えば、「自灯明の実践=「Satipaṭṭhāna(サティパッターナ、四念処)の実践」である。 それゆえに、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。 Tasmātihānanda, attadīpā viharatha attasaraṇā anaññasaraṇā, dhammadīpā dhammasaraṇā anaññasaraṇā. 長部経典16「大般涅槃経(Mahāparinibbānasuttaṃ)」第2章の一般に「自灯明・法灯明」とされている部分である。 これは、非常に誤解されている部分であって、 「自分を拠り所にしろいうことだから、自分で考えて、自分の直感に従って生きることではないか」 「自分に好きに生きろということ
2013-08-30 瞑想中毒だった俺はなぜ瞑想をやめたか。 仏教 アドヴァイタ この間、わりかしスピリチュアルなことに興味がある友達が家に遊びに来て、「毎日瞑想やってるか?」と聞かれた。 俺は、「もう半年くらいやっていない」と答えた。 俺は瞑想オタクとか精神世界オタクの人間だったから、友達がその俺の答えを聞いた瞬間、一瞬、「え?」っていう戸惑った顔した。 それでなんというか、この世界に入った頃から、今までの軌跡がフラッシュバックしてきた。 俺が瞑想というか、そういう精神世界に入ったのは今から、5年とか6年まえの話で、多分、20歳か19歳のときのまだ札幌に住んでいた頃の話だ。まあ、くわしく話すと長くなるが、そのころの自分は、浪人で孤独で、非常に辛く苦しい時期を過ごしていた。 そんなとき、Amazonでスマナサーラという人と養老孟司の対談本を見つけた。 それがすべての始まりだった。 で、そこ
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