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ブックレビュー
blog.goo.ne.jp/p_lintaro2002
足利義教は、その治世が「万人恐怖」と恐れられたことは既に書いた。→1、2 その義教が行った政治のうち、重要なことが一点ある。 「およそ南方御一流、今においては断絶さるべしと云々」(看聞日記) つまりこれは南北朝の「南朝」を完全に無くしてしまえ、という義教の政策のことである。南北朝問題は、足利義満の治世で「南北合一」を果たし、既に過去のものとなっていたと言われるが、実はまだ南朝皇胤がいなくなったわけではない。政治的生命はほぼ壊滅したように思われるが、隠然とまだ続いていたのである。 義満の詐欺のようにも思える強引な「南北合一」の後、南朝はどうしていたのか。 南朝が北朝に神器を譲るにあたっては条件があった。それは「両統迭立」である。とりあえず北朝の皇位を認めるが、次は南朝から天皇を出す。そういう条件である。鎌倉時代の持明院統と大覚寺統のようなものだ。それで南朝は矛を収めたのだが、足利義満と北朝は
汽車に乗って旅に出る。昼間は流れる車窓風景をぼんやりと眺める。夜は物思いに耽りつつ夜汽車に揺られる。いずれにせよ酒が不可欠なのではないかと思う。お前だけだ、と言われるかもしれないが賛同者も多いのではなかろうか。 そういうときに何を呑むか。僕は圧倒的にウイスキーを好む。 ウイスキーのポケット瓶というものを僕は旅の友として最上のものと定義しているが、そういうのは昨今流行らなくなってしまったのかもしれない。 みなみらんぼう氏の名曲に「ウイスキーの小瓶」といううたがある。一人旅の心情を歌ううたとしてこれほど心に沁みていくものはない。 ウイスキーの小瓶を口に運びながら 涙と思い出を肴にして 酔いつぶれてしまいたいなどと 思っているこの僕を こういう旅情というものが無くなって久しい。今は列車で呑む酒と言えば圧倒的に缶ビールだ。列車がガタンと動き出すとあちこちから「プシッ」というプルトップを引く音が聞こ
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