サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
掃除・片付け
blog.goo.ne.jp/sombrero-records
1955年に「原子力平和利用博覧会」という催しがあったらしい。日比谷公園で原子力列車の模型など、”素晴らしい原子力の未来”を印象付ける展示が行われ、36万人の来場者があったということだ。 原子力は、まだ貧しかった日本に、1つのビジョンを示した。 「ウランを掘り当てて大金持ちに!」だとか、「放射能でガンが治る」とか「放射能でお茶がおいしくなる」というような、勝手な流言飛語が飛び交い、日本中が盛り上がったらしい。 この「原子力の流行」は、正力松太郎率いる読売新聞が仕掛け、引き起こしたわけだが、当時の日本が来る高度経済成長と大量消費社会を控えて自前のエネルギーを渇望していたことを考えれば、彼がいなくても誰かが同様のキャンペーンを張ったかもしれない。 311以降の世界を生きる僕達は、「唯一の原爆被爆国なのに、原子力発電をこれ以上行うなんてどうかしてる」というような言説をしばしば耳にするけれど、19
僕がコーヒーを飲むようになったのは、30才を過ぎてからなので、だから、まだ3,4年というところです。 昔、コーヒーを飲むと気持ち悪くなっていたので、僕にはコーヒーは飲めないと思っていました。30歳くらいのときに、思い切って飲んでみて、そしてもう気持ち悪くならないことが分かり、それからはコーヒーを良く飲みます。 一人で本を読みながら、誰かと話をしながら、コーヒーを飲むというのは実に心地良いことです。 飲み始めた当初、僕はコーヒーの豆から焙煎から淹れ方まで、それなりにこだわっていたのですが、元々食べ物の味にはそれほど興味もないので段々とバカらしくなってきて、311のあとそれは決定的になり、ついにインスタントコーヒーをメインに飲むようになりました。微細な味の違いなんか、もうどうでもいいし、そういう日々の些細な喜びよりも、もっと大きなものに目を向けなくてならないという焦燥感に駆られていたからです。
2020年のオリンピックが東京での開催になりました。オリンピックには全く興味がないのですが、今回はショックを受けています。 IOCが東京での開催を発表する前日、Twitterにはオリンピック関連の発言が結構たくさん並んでいて、その中に「外資系証券会社で働いている友達が社内ではみんな東京って言ってるってさっき言ってた」というようなツイートがありました。 証券会社で働いているとそういうことが本当に分かるのかどうか、僕は良く知りませんが、オリンピックに関する多くの発言が金の話に終始しているのを見ていると暗澹たる気分になります。現代ではスポーツは巨大産業なのだと思い知ります。 少しだけスポーツの悪口を書きます。スポーツのというか、スポーツの扱いに対する悪口を。僕は子供の頃、「スポーツ選手っていいよね、君も大きくなったらスポーツ選手になりたい?」みたいなことを聞かれると、「スポーツなんて何の役にも立
(今回も『風立ちぬ』のネタバレがあります) 前回『風立ちぬ』のことを書きました。アクセス数が物凄くて、改めて宮崎駿監督の人気を思い知りました。「一番納得いった批評」という好意的な感想から、「岡田斗司夫のパクリ」という批判も頂きました。岡田さんの批評も確認しています。「夢の中の飛行機は女にしか見えていない」「二郎は女が出てくると絶対にチラッと見る」「菜穂子は森の入口にキャンバスを置いて二郎を誘い込んだ」というような、僕よりもずっと詳細な見方をされています。大枠の見方はほとんど同じで、パクリと言われても仕方ないくらいですが、「今回は正直に、絶対にエグいことを描いているはず」という若干穿った見方をすれば、大抵あのような見方になると思うので、特に驚くこともないと思います。 これまでの宮崎作品にも「エグい」ことは書かれてきました。そのエグさはいつも「悪者」の方に転嫁されてきましたが、転嫁しても、劇中
小学生の時、学校に作業所で働く障害者の人達がやって来て、体育館で交流会みたいなものが開かれた。彼らが普段どのようなものを作っているのかとか、作業の様子などを僕達は見せてもらった。 ある場面で、僕はものすごい衝撃を受けた。 その女の子はほとんど体を動かすことができない。 微かに動かすことができるのは指先だけだ。 彼女の隣では、ボランティアか職員か分からないけれど、箱に蓋を載せて半分くらいまで閉める係の人がいる。中には多分なんらかの製品が入っていたのだろう。その半分蓋の閉まった箱が女の子の前に置かれると、彼女は微かに動く指先でゆっくりと蓋を最後まで押し下げて閉めた。 それが彼女にとっての仕事だった。 僕は混乱した。 これのどこが仕事なんだろうと思った。 半分まで蓋を閉めてあげる係の人が、そのまま最後まで蓋を閉めた方がよっぽど作業は捗る筈だ。彼女がしていることは何の助けにもなっていないし、はっき
宮崎駿の『風立ちぬ』を見ました。かなり驚いたので、感想を書きたいと思います。いわゆる”ネタバレ”がありますので、まだ見てない方は読まれない方が良いと思います。映画を見たこと前提に書きますので、まだの方には意味がわかりにくいかもしれません。 「えっ、本当に?」というのが、『風立ちぬ』を見た僕の最初の感想でした。なんとなく美しい話として見てしまう物語の基底が、圧倒的に残酷で、これまでの宮崎映画とは次元がまったく異なっています。 そして、たぶんこの残酷さが宮崎駿の本音なのだと思います。今回、宮崎駿は今までよりも正直に映画を作りました。それは長い付き合いで、今回主人公の声を担当した庵野秀明も言っていることなので間違いありません。何より、庵野秀明が主人公役に抜擢されたこと自体が「正直に作った」という意思表示です。庵野さんに対する宮崎監督の評価は始終一環して「正直」というものだからです。今回も「庵野は
前回再録して紹介した小沢健二さんの『企業的な社会、セラピー的な社会』を読んだ後に、小沢牧子さんの『こころの専門家はいらない』も読んでいて、その感想文も書いていたと思ったのですが、それはツイッターで紹介しただけだったので、ここにまとめておきたいと思います。 著者、小沢牧子さんはご自身が<心の専門家>というか「心の専門家の専門家」です。臨床心理学を研究しているうちに「どうもこれは嘘っぱちではないか」と気づいて今のようなスタンスに変えられたようです。 カウンセリングとか精神医療とか抗鬱剤とかに対して、実は結構たくさんの人たちが「どうもこれは嘘っぱちではないか」という思いを抱いているのではないでしょうか。でも、そういうことを言うと「あなたは何か自分の心に向き合うのが苦痛であると感じてしまうような心の傷を持っているのではないですか、カウンセリングの回数を増やしましょう」というような、斥力を吸引力に変
「暇と退屈の倫理学」という國分功一郎さんの本を、去年の暮れに友達が貸してくれて、面白く読みました。 その本の途中に「環世界」の話が出てきます。 文脈としては、ハイデッカーの退屈論は「人間は環世界を持たない(閉じ込められていない)」ことに依存しているが、それは間違っている、人は環世界を持っている、ただ、ある環世界から他の環世界への移動能力が高いのだ、故にハイデッカーの退屈論はこう批判される、という感じだったと思います。 ここで、僕は「環世界」という言葉の取り扱いに悩まされました。 「環世界」という言葉は元々知っていて、馴染みのあるものだったのですが、どうやら僕はこの言葉を誤解していたようなのです。 この言葉は、それぞれの生き物が世界(周囲の環境)を認識するときの、それぞれ固有の認識の仕方(世界観の組み立て方)を表しています。最初に環世界という言葉を使い出したのはユクスキュルというドイツ人の生
2009年に掲載していたものの再録です _____________________ 昨日書いたように、小沢健二の「企業的な社会、セラピー的な社会」を買ったので、眠る前に読んでみました。面白かったです。 冒頭の文章をネットで見つけたので貼り付けると 『「社会と何の関係もない言葉」きららという少女が、考えています。 このお話の頃の世界には、そんな言葉がたくさんありました。社会と、現実と、何の関係もない言葉。 例えば「対外援助」という言葉がありました。 いわゆる「豊かな」国が、税金で、いわゆる「貧しい」国に「援助」する、「対外援助」のお金。 本当は援助するのなら、貰ったお金を「貧しい」国がどう使おうと勝手なはずですが、そうではなくて、お金には「このお金を、こういう風に使いなさい」と、ただし書きがついていて、どうやらお金は、「豊かな」国の大きな企業が受けとることになっているのでした。 つまり「豊か
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『sombrero-records.note』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く