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仕事を辞めると20年から30年と膨大な無為の空白の時間があ る、そんな第二の人生を歩んでる人のなかにも現役時代同様スケ ジュール帳がびっしり埋まってないと心穏やかでない人たちがい る。 ジム通いで体力をつけ、ゴルフ、麻雀、カラオケ、地域活動、友 人とのつきあいと予定を入れている、「忙しいほうが生きがいが ある、何もしてないと生きてる気がしない、忙しい自分をどこか 誇りに感じている」というニュアンスがにじんでる。 今でも世間にはどこか、えらい人ほど忙しい、忙しい人ほどえら いという漠然とした価値観がはびこっているように見える、予定 がびっしりつまっていること、それが自分の価値の表れだと思っ ているのかもしれない。 せっかく手に入れたのんびりした時間、なにもそんなに目の敵の ようにして時間を埋め尽くさなくても、と思うけど人それぞれの 老後の人生、価値観、楽しみ方は違うものである。
23万人のフォロアーを持つ人気女性ブロガー、ちきりんさんの 13年前のブログのなかで「毎日のアクセス人数が20人だった ら書く気がしませんか?」という問いかけがあった、実際ブログ を辞めてしまう人の中にアクセス数が少ないからというのが理由 のひとつでもある。 「でも実際に20人があなたが毎日感じていることや考えたこと にじっくり耳を傾けてくれるなんてリアルではありえないでしょ う、だから20人ってリアルな人間と考えれば相当な数じゃない ですか?」 確かに彼女のいうとうりである、ネットやSNSの出現で激変した のだ、それが「つながり」に結びつくかというと難しいけれど、 自分を表現することは誰にとっても素敵なことだと私も思う、た とえ20人であっても、そのなかで内容に共感してくれる人がい れば励みになるはずである、ブログは続ける限り誰かが読んでく れている、私はそう信じている。
以前NHKスペシャル「認知症革命」のなかでMCI(軽度認知症) いわゆる認知症と呼べないが正常ともいえない中間の状態でMCI を放置するとそのまま認知症に移行してしまうという、そこでMC I発見のためのシグナルとして次のことが挙げられている。 ■ 好奇心、やる気が失われる(外出をしなくなり趣味などへの情 熱がなくなる) ■ 感情の鈍化(喜怒哀楽の感情が薄くなり無表情になる) ■ 直前の出来事を忘れる(直前の電話で話した内容やTV番組の 内容等直近の出来事を思い出せない) ■ 周囲への理解が乏しくなる(他人への気遣いができなくなり自 己中心的になる) ■ 状況把握能力の低下(時刻や曜日などを尋ねられても答えられ ない) ■ 歩くのが遅くなったら要注意(青信号のうちに渡りきれない) このような状態に本人、家族が気づいたら病院の「もの忘れ外 来」を受診することが悪化を防ぐと言われてる。 ちなみに
定年後によく聞かれるのは「毎日何をして過ごしてるんですか?」 「暇で時間を持て余してるのでは?」「悠々自適でいいですね…」 この言葉には忙しいということがよいこと、価値あることという 認識がある。 なかには定年後も現役時代の習性から趣味だ、スポーツ、地域活動 同窓会、と次から次へと予定を入れ手帳がスケジュールでびっしり うめてないと心おだやかでないという人の気持ちが理解できないわ けではないが、私はそんな気分にはならなかった。 たしかに定年後の一日は平坦で起伏はないかもしれないが、慣れる と退屈ということはない、どちらかというと無計画、その日、その 日やることを気のむくまま考える、それでいいと思ってる、定年後 の一日は長いというけれど、決してそんなことはない。
定年退職後は夫婦の共有する時間は多くなる、当然夫婦の役割を 分かち合う必要が出てくる、そうしないと同居人の機嫌のよしあ しによって自分の機嫌も幸福度も左右される。 だから夫婦間で相手を褒めたり感謝の言葉を言うのはお互い快適 に過ごしたい気持ちがあるからだと思う、互いの行動に干渉せず、 束縛せず、価値観を強要せず、相手の存在をともに生活する伴侶 と認めることが大切。 そして根底には支えあい、買い物、外食、料理、洗濯、掃除等担 当制をとることで夫婦円満の生活を送ることができるかもしれな い、どちらが先に逝くかはわからないだけに、お互い支えながら 役割を分かち合い楽しい生活を目指したいものだ。
人はなにかを失いかけて初めてその価値が心に刻まれるもの、例 えば健康、病気の人を見たら自分が健康であることをありがたく 思うものである。 今、私の妻は五十肩と膝の痛みに悩まされてる、腕は上がらない、 歩くと痛い、私ができることは重いものを持ったり、風呂の掃除を したり、買い物、整形外科の順番とりと送迎、それでも妻の心は晴 れない。 痛いのがつらい、気持ちがそこから離れない、痛みさえなくなれば、 健康だと心に余裕がでるのに思いどうりにならないものだ、妻の現 在の目標は痛みに耐え、リハビリを続け回復に望みを託すことかも しれない。 ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
定年退職した人が抱く不安はお金、健康、そしてこれから何をする か、ということだと言われてる、今までは仕事が生きがいではなか ったにしろ毎日することがあったし、そのことが生活の基盤、そし て生活のハリであった。 幸福感や充実感を感じるものが生きがいであるが、生きがいが無け れば無味乾燥、たんなる惰性の人生、だから生きがいは必要という のが一般的であるが、老後は無理に生きがいを求める必要はないと 思う。 それよりも世の中の出来事に好奇心を持つこと、一日ひとつずつ知 らないことを知る、ちょとした希望、愉しみ、夢中になれるものが あれば十分、そこから生きがいにつながるものが見つかるかもしれ ない。 何をするかは人それぞれ、散歩でも食べ歩きでもいい、読書でも音 楽でもいい、季節の花を観にドライブでもいい、温泉に行くのもい い、なにも世間の常識にとらわれた生きがいにこだわることはない と思っている。
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