北条早雲(ほうじょうそううん) 京都一帯を焼け野原にしたとされる応仁(おうにん)の乱。もとは、室町幕府の管領として、政務を行う一族であった畠山氏のお家騒動から始まった応仁の乱は、次第に数多くの武将たちを巻き込む大きな戦となり、結局戦は約11年間にも渡って続きました。戦国時代突入のきっかけのひとつにもなった応仁の乱ですが、畠山氏のお家騒動や、将軍の跡取り問題など、ある意味では私利私欲に満ち溢れたこの戦を、北条早雲はどのような目で見つめていたのでしょうか。 応仁の乱が勃発した1467年、早雲はまだ35歳という若さでした。(早雲の寿命が63歳であったという説から考えると、このときはまだ11歳であったということになります。) 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅