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掃除・片付け
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まさかの救急車 それは突然やってきました。 いや、振り返ってみると、 休日は一日寝ていたり、 何日もだるさが取れなかったり、ということは続いていたので、 本当はジワジワ来てたんですね。 気が付かなかっただけで。 その日も、昼食後は夕方まで昼寝。 そろそろ夕ご飯だから、起きないとね…とむっくり起きてトイレに行こうとしたら、 大きくよろけるではありませんか。 昼寝する前も、「しんどい」と言っていたし、よく見ると、目は充血してる。 「ゲームのやり過ぎじゃないの?」 「風邪かしら?」と言っていたのですが、 これはちょっとただ事じゃないかもしれない。 右側のまぶただけが腫れたようになって、 目の上半分に覆い被さるようになっていたし、 しゃべる言葉もなんだか滑舌が悪い。 これは病院に行かなくちゃだめだ。今から行こう!と言ったら 「歩けそうにない…」と言う。 このまま病院に連れて行けなかったら、本当にヤ
松任谷由実の楽曲のデジタル配信がついにはじまりました! ニュースメディアでは、配信開始前から取り上げられ、 ここ数日はテレビCMも流れるなど、大変な話題になっています。 Amazon Music Unlimitedでも聴き放題リストに加わったので、 さっそく「荒井由実シングルヒット」プレイリスト作っちゃいました。 自分にとっての「荒井由実」は「ひこうき雲」から「翳りゆく部屋」まで。 そして、プラス、ハイファイセットの3曲です。 再生ボタンクリックで試聴できます。 会員登録・アプリ不要。 画面はそのまま、切り替わりません。 Amazon Music Unlimited登録で 全曲フル再生、聴き放題になります。 Amazon Music Unlimitedの詳細はこちら ↓↓↓ 「スマホのAmazon Musicアプリで昭和時代のヒット曲を聴き放題にする方法」 今すぐ無料体験をするなら、こちら
最近では、飲食店系の「パーラー」というと、 資生堂パーラーだの、タカノフルーツパーラーだの、 高級感あふれるお店をイメージしますが、 昭和の50年代ぐらいまでは、 繁華街に一軒はあるかという、 庶民的なお店でした。 「喫茶店」だと、珈琲がまだ飲めない子供は連れていってもらえませんでしたが、 「パーラー」は、デパートのお買い物や、ボーリングなどのレジャーの後に 子供も連れていってもらえるちょっと贅沢なスポットでした。 喫茶店でもない、レストランでもない、昭和の「パーラー」。 まあ、今だとそれってファミレスでしょ、って言われればそうなんですが、 パーラーはファミレスとは違って、 真っ向から「家族で行くところ」ではなかったような気がします。 お父さんがいつも会社の近くで行ってる喫茶店ぽいところに 特別にお許しをもらって入れてもらう、 大人の仲間入りができるぞ、みたいなワクワク感がありましたねー。
日本橋三越本店新館7階催物会場にて開催中(8月1日〜13日)の 「1980年代展」に行ってきました。 三越本店です。銀座店ではないので、お間違えなく。 銀座線の「三越前」駅で降りてね。 1980年代展の入場料を割引にする方法 入場料は800円ですが、三越のツイッターをフォローして こちらをリツイートすると100円引きになります。 \ Twitter限定 割引クーポン🎫 / 8月1日(水)~13日(月)開催「1980年代展」の入場当日券が割引に! 1⃣ @mitsukoshi_nh をフォロー 2⃣ このツイートをRT 3⃣ チケット売り場で画面提示 特設サイトはコチラhttps://t.co/sskEW9mh82 pic.twitter.com/1CnPwgzOQF — 日本橋三越本店 MITSUKOSHI (@mitsukoshi_nh) 2018年8月1日 チケット販売所にも掲示があ
野口五郎は昭和46年「博多みれん」という演歌でデビューしました。 これは残念ながらあまり売上は伸びず、 当時は私も聞いたことがありませんでした。 ところが、「青いリンゴ」というポップスを出した途端、ブレイク。 その後、着々とヒット曲を出し、 昭和49年「甘い生活」はオリコン週間チャートで2週連続1位、 昭和50年「私鉄沿線」は3週連続1位を獲得、 同年レコード大賞歌唱賞を受賞しました。 15歳でデビューしてから4年、19歳の時でした。 野口五郎が10代だった時のヒット曲を Amazon Music Unlimitedで検索してみると、 ある、ある、全部ある! せっかくなので、青いリンゴから私鉄沿線まで、 プレイリストにしてみました。 再生ボタンクリックで試聴できます。 会員登録・アプリ不要。 画面はそのまま、切り替わりません。 Amazon Music Unlimited登録で 全曲フル再
最近、音楽配信サービスに登録しました。 スマホ1台で、通勤時のながら聞きはもちろん、 キッチンでBGM的に聞くこともできちゃいます。 ラジカセやパソコンは不要です。 スマホ1台で、音楽を検索し、取り込んで、 お気に入りの曲を流しっぱなしにできる。 しかも、なつかしの曲がたくさんみつかるなんて、 登録して使ってみるまで知らなかったなあ。 昭和時代の年間ランキングは、大物揃い。 例えば昭和50年。 再生ボタンクリックで30秒ずつ試聴できます。 登録してない方でもだいじょうぶ。 こんなプレイリストを自分で作ることもできるし、 誰かが作ったプレリストをもらっちゃうこともできる。 登録している人はもちろんフルで全曲聴くことができます。 ダウンロードして、オフラインでも聴けるから 通信料も気にならないし、 聴き放題だから、曲を増やしても、追加料金はかからない。 これは、定額で4000万曲が聴き放題にな
台場一丁目商店街で買ったおみやげの絵本。 200円です。けっこうぜいたく品ですね。 ショウワノートの「プリンセスワールド」です。 おひめさまきせかえ つき 裏表紙はこれ。 プリンセスきせかえ つき もはや、どっちが表紙で、どっちがおまけなんだか よくわかりませんw 昔なつかしい紙の着せ替え人形セットつきだなんて、 お宝をゲットした気分です。 塗り絵だけだったらスルーしてたかも。 着せ替えが目に入った時点で、思わず手にとって、 レジへ直行でした! 昭和の女の子のあこがれだったドレスの女の子。 そして、着物の着せ替え。 子供時代は、和服の良さがよくわからず(^_^; 断然「ドレス」派だったのですが、 今見ると、なかなか味わい深いですねえ。 ミニノートの表紙、かぐや姫らしいのですが、 これは十二単でしょうか。 ほんとに「お姫様」! せっかくなので、実際にやってみましたよ。 うーん、これは、着せ替
台場一丁目商店街はお宝満載で、 何を買って帰ったらいいものやら… 迷いに迷って買ったのがこちら。 この中で、一番最初に買ったのが、このなつかしい塗り絵でした。 ぬりえを買ったところで、 はて、何で塗ろう? まさかこれだけのために色鉛筆セット買うわけにもいかないし。 と思ったら、これまたなつかしいこんなものを発見。 芯だけの色鉛筆。 20色の芯を入れ替えながら使うやつです。 うーん、でもなあ。 子供の頃に流行ったのは、 芯のホルダーが透明じゃなくて、 マットなプラスチックだったような記憶が。 調べてみると、この透明なホルダーのものは、 「クリスタルポケットカラーペン」 150円也。安い〜(^_^; 昭和40年代に流行ったのはこちらでした。 pin そうそう、これこれ! 「マニカラーペンシル」っていう商品名だったんですね。 今売られているクリスタルポケットカラーペンより もう一回り大きくて、
台場一丁目商店街の雑貨屋さんの前で立ち止まると、 あれも、これも、まー、なつかしくて。 台場一丁目商店街は昭和世代が涙する遊び場だった 全部買って帰りたくなりましたが、 迷いに迷って選んだのがこれでした。 セットで150円なりw はて、最初どうするんだっけ… と思ったら、説明書にやり方が書いてありました。 これはハズキルーペの出番ですw だんだん思い出して来たぞ〜 ということで、 実際にやってみたのがこちら。 全く忘れちゃっている人も、 かつてやったことがあるのなら、 10分ぐらいで思い出すのでは。 一心に編んでいると、 いろいろ思い出しますねえ。 編み糸、かなり長いやつではじめても すぐに足りなくなっちゃうので、 何度も近くの駄菓子屋さんに行ったこと。 これ、できたからあげる!と 母にあげたら、 「これはどうするんだろうねえ?」って 困った顔をされたこと。 当時の近所の風景や、 住んでた
台場1丁目商店街で見かけた昭和の風景。 今回はこんなやつ。 なつかしのゼビウスです。 標的はくるくる回りながら 右に左にうごき回り、 撃墜すると 「キラキラッ」 っていう、未来的な音を立てて消えてくれる。 2,3個ずついっぺんに消えていくのが、 気持ちよかったですね〜w 私は同時に2つ以上のことができないタイプなので、 飛んでくるやつを仕留めることに気を取られ、 地上の基地の爆破はほとんどできませんでしたが、 それでも楽しかったな〜。 ゲームはお店でやるものだった ファミコンとかテレビゲームが出て来る前は、 自分のうちでこんなゲームをやるなんて、 夢にも思わなかった時代でした。 ゲームをやるのは、旅館とか、ゲーセン。 「よーし、ゲームしに行くぞー」って 気合いを入れて出かけたものです。 そんなゲームがゲーセン以外の場所でできるようになったのは、 昭和50年代に入ってからでしょうか。 そのゲ
台場一丁目商店街でみつけたなつかしい昭和のおもちゃたち。 今日は、「レジャー」的なアーケードゲームをご紹介します。 台場一丁目商店街についてはこちら。 台場一丁目商店街は昭和世代が涙する遊び場だった 旅館にあったゲームコーナー 子供の頃、一応近所にゲームセンターはあったものの、 盛り場に子供だけで行ってはいけません、とか、 ゲームセンターは不良のたまり場だ、とか、 ひどい言われようで(^_^; そんな時代に、堂々と、しかも家族で入れたのが、 旅館のゲームコーナー。 もっと昔だったら、卓球台があったであろうスペースに こんなゲームが置いてあったものです。 はじめて見る方は、「なにこれ、ゲームなの?」と思うかもしれません。 ボールが入った穴の番号を思いっきり押す! それだけのゲームですが、 早く押した方に有利な方向にボールが飛んでいく仕組みになっており、 穴から出す一回一回が対戦相手との真剣勝
1962年2月生まれ。幼少の頃は、高度経済成長時代。 世の中には新しいおもちゃや文房具が次々と出現し、あれ買って、これ欲しい、と親を困らせておりました。 中学生ぐらいまでに夢中になったもの -雑誌の付録、スポ根アニメ、青春ドラマ、スター誕生、深夜放送、BCL。 高校から大学にかけてはAmerican Top 40、JJファッション、ハマトラ、サーファー、ディスコ、スキー&テニスサークルにエアロビ… 1984年に大学を卒業、就職。 海外勤務予定のスタッフのサポートを20年間勤めた後、現在は海外拠点のWebディレクションを担当。 勤続34年、ふと気が付くと定年まであと4年となりました。 老後に備え、財形貯蓄、年金保険、投資信託など、できる限りのことはしてきました。金利が高かったころの計算では、それでなんとか人生の終盤も逃げ切れるはずだったのですが… 金利ゼロ時代。 女性の平均寿命89歳。 計算
台場一丁目商店街の中にある、 「一丁目プレイランド」は 昭和時代のなつかしいゲームが満載です。 あまりにたくさんあるので、 ちょっとずつご紹介していきます。 デパートの屋上にあったやつ 三越とか松坂屋じゃなくて、 郊外の地元の○○百貨店みたいな 小規模のデパートの屋上にあったのはこれ。 オバQとウルトラマン。 こんなものの上に乗って ゆらゆら揺れてるだけなんて、 何がおもしろかったのかよく覚えていませんが(^_^; これが目に入ると、なぜかワクワクしたものでした。 ボーリング場の待ち時間はこれで遊んだよ ボーリング場も、昭和のファミリーの典型的なレジャーでした。 週末はご家族連れでどこもいっぱい。 受付で名前を書いてから 1時間ぐらい待たされるのもザラでしたね。 こちらは、そんなときの暇つぶしで遊んだピンボール。 当時は、ボーリング場と同じフロアにありました。 2台ともアメリカ製で、 右は
東京都港区、品川区、江東区にまたがる臨海副都心、いわゆる「お台場エリア」。 日本科学未来館やレゴランドなど、最先端の施設があり、 オシャレ感に充ち満ちている広大なレジャースポットです。 そんな「新しい」お台場に、 一周回ってなつかしのエンタメスポットも、ということなのでしょうか、 「台場一丁目商店街」という昭和レトロな一角があることを知り、 見学に行ってきました。 これが、予想していた以上に ツボにはまるなつかしいグッズが満載で、 とても1つの記事ではご紹介しきれませんので、 本稿では全体の概観をざっと眺めていただき、 ひとつひとつのエリアについては、 個別の記事でご報告することにいたします。 まずは駄菓子屋さん ゆりかもめのお台場海浜公園駅から徒歩2分、 デックス東京ビーチ4階のフロア全体に広がる「台場一丁目商店街」。 エスカレーターを降りたところで まず目に入るのがこの看板です。 そし
西田小学校郷土資料室「くらし」のコーナーには お風呂の展示もありました。 こちらは、昭和30年代初期のお風呂。 ガスなのか薪なのか不明ですが、 とにか沸かすのが大変だった頃のお風呂ですね。 私は、このタイプのお風呂は知りませんでした。 なぜなら、うちにはお風呂が無かったからです。 幼稚園の頃は銭湯通い。 父と男湯に入ったときは 背中が唐草模様の人が何人かいたりして、 「ねえねえ、どうしてあの人は模様がついてるの? どうして洗っても落ちないの?」 なんて大きな声で叫んだ記憶があります。 父さん、ごめん。 父の顔は見なかったけど、 きっと真っ青だったと思うw 銭湯で楽しみだったのは、やっぱりこれ。 コーヒー牛乳、なんであんなにおいしかったんですかね〜w pin でも、オレンジのパンピーは買ってもらえなかった。 あれを飲むと夕ご飯が食べられなくなるとか、なんとか。 今でも、ちょっと納得がいかない
昭和20年代、まだ「電気製品」になる前の冷蔵庫は こんな作りをしていたそうです。 近所を回ってくる氷屋さんが、 家の前でノコギリで氷を切り出し、 それを上段の氷室に入れて、 下段で冷やす、という仕組み。 私が物心ついた頃は さすがにどこのうちにも電気冷蔵庫がありましたが、 それでも、氷をノコギリで切る風景は記憶に残っています。 魚屋さんとか、業務用には まだけっこう氷を使っていたんですよね。 氷で冷やすだけでもありがたかった冷蔵庫。 昭和30年代に入るころに「電気」冷蔵庫となったわけですが、 その後も飛躍的な発展を遂げました。 その革命的な改良を振り返ってみましょう。 氷がおうちでできるようになったよ 昭和30年代の冷蔵庫は、まだワンドアでした。 pin それでも、上の方に氷りを作る場所がありました。 pin プラスチックの製氷皿なんてなかったから こんなやつで pin 水をかけて、ちょっ
西田小学校郷土資料室見学レポートの続きです。 最強の昭和レトロスポットがご近所にありました 居間の一枚棚 「くらし」のコーナーで、箪笥の上に視線を向けると 鴨居に板を渡した「一枚棚」があります。 ここは、季節もの置き場。 金魚鉢、湯たんぽ、 蚊取り線香を入れるブタの蚊やり。 うちわは文化放送の宣伝用でしょうか。 周波数が9kHz間隔に変わる前の1130kHz時代のものですね。 夏は使うけど冬は使わない。 そういうものは、物置にしまいこむのは面倒だし、 かと言って、ずっと畳の上に置きっぱなしにもできないし… ということで、結果的にこの中途半端な 「ちょい置き」的なところに置いたのだと思います。 完全に外でもないし、内でもない「縁側」と 似たような緩衝地帯ですね。 すごく日本的です。 畳の上に仰向けに寝っ転がった時だけ 視線の中に入ってくる。 扇風機やうちわを眺めて 夏休みが来たらまた海に行き
西田小学校郷土資料室見学レポートの続きです。 最強の昭和レトロスポットがご近所にありました 朝ごはんメニューの定番 「くらし」コーナーのど真ん中にあるのは、 ちゃぶ台とお食事見本。 納豆とお味噌汁がありますから、 やっぱり朝ごはんですね。 おひつがあるので、 電気炊飯器が出る前の時代のもののようです。 でも、朝ごはんのメニューは 私の子供の頃とあまり変わりないかなあ。 ししゃも、アジのひらき、たくあん、ワカメの味噌汁、納豆… うちの定番は塩鮭とシラス&大根おろしでしたが、 朝のタンパク源が干物、というのは同じですね。 最近は塩鮭入りの「のり弁」が 値段もカロリーも妙に高くなっていて すっかり贅沢品になった模様。 世の中、変わるものです。 朝の子供番組 昭和40年代頃は、 ごはんを食べる時は、テレビを消しなさい! というおうちも多かったのではないでしょうか。 うちは、それをやると父がナイター
あらためまして、「るりっぺ」こと高倉ルリ子です。 1962年2月生まれ。 84年に大学を卒業、会社員になりました。 80年代の女子の就職はけっこう大変でした。 少しでも長く勤めらそうなところを一生懸命探し、 なんとか今の会社に潜り込むことができたのですが… ホッとしたのも束の間。 いつのまにか30年もの月日が流れ、 もうあと5年で定年です。 退職後、自分でもできる仕事はあるのだろうか、 生活費はちゃんと確保できるのか、 貯蓄はいくらあったら安心なのか… 将来のことを考えると、 不安ばかりが募ります。 貯蓄、投資、不動産etc… いろいろな方法を探しまくりましたが 何をやってみても、 成功の兆しすら見えることはありませんでした。 ところが。 先輩世代ではなく 若い世代から学んでみたら? 今、成功しているのは、20代、30代の若者なのだから。 このことに気づいた途端、 安心安全な収入確保の道が
杉並区の西田小学校には郷土資料室があり、 昭和20年代から30年代の「まちのこどもの一日」を 「くらし」「あそび」「まなび」というテーマに沿って展示しています。 見学ができるのは学校がお休みの日 (土日祝日と、春休み、夏休み、年末年始を除く冬休み期間)のみですが、 かえってちょうどいいですね。 自分にとっては先輩の年代の資料ですが、 きっとなつかしいものがたくさんあるのでは、と見学に行ってきました。 昭和の思い出が目の前に現れる資料展示室 郷土資料室といっても、ごく普通の小学校。 もちろん、駐車場はありません。 近くのコインパーキングに車を止めて、 歩くこと5分。 校門らしきものがあったのですが、 学校がお休みで閉まっており、 どうしたものか… すると、偶然通りかかった職員さんが 親切に資料室まで案内してくださいました。 たった一つの空間にあらゆる昭和の風景が凝縮されていた 展示コーナーは
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