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掃除・片付け
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Story 「「愛」はずっと、さっぱりわからないものだったんです」 男性問題研究家 / 釜ヶ崎地域史研究家 水野 阿修羅さん 1949年生。大阪市西成区在住。1970年に開催された大阪万博を機に、仕事を求めて釜ヶ崎へと移住。以来、建設業・運送業を中心に45年間日雇い仕事に従事。その傍ら、88年に外国人支援組織「アジアン・フレンド」を立ち上げ、アジアからの出稼ぎ労働者問題に関わるようになる。91年にはメンズリブ研究会、98年にはメンズサポートルーム大阪を立ち上げ。以来、DV加害者に対し、自らの感情を回復させ、DVから脱却することを目的に「男の非暴力グループワーク」を実施している。ほか、部落解放運動・女性解放運動などの運動も進める。99年、NPO法人釜ヶ崎支援機構の職員となり、2014年1月に定年退職。 ※ 約18,500字 肯定していた怒り 喧嘩は得意とするところだった。その起因となる怒りは
「こうなるなんて、思ってなかった」「こうしか生きられなかったんだよ」「やっと、出逢えた」「あの人のおかげです」「私も、若かったんだね」「今でも夢に見るくらい」「人生、なんとかなるもんやで」「ええ時代やったなぁ」 「あの人はな、そういう人やねん」「これに、賭けてきたから」「忘れるわけないじゃん」「今『やれ』言われても絶対無理やわ」「その一言に救われたんです」「人間、年取ったからいうて、変わらへんで」「なんや知らんけど、泣けてきたわ」「いろいろあったけど、今は幸せ」「人に理解されなくてもいいの、 自分が幸せなんだったら」「後悔はない。でも、ちがう人生も あったんちゃうかと思う自分もおる」 「こうなるなんて、思ってなかった」 「こうしか生きられなかったんだよ」 「今でも夢に見るくらい」 「忘れるわけないじゃん」 「いろいろあったけど、今は幸せ」 「これに、賭けてきたから」 「私も、若かったんだね
Story 「みんなもっと、自分を主語に生きてほしいなと思うんです」 NPO法人HELLOlife 理事 島田 彩さん 1987年生。大阪府出身、在住。関西大学(マス・コミュニケーション専攻)を卒業後、学生団体の手伝いなどを経て、2010年、NPO法人スマイルスタイル(現・NPO法人HELLOlife)のメンバーとなる。以来、かぎかっこプロジェクト、まちときどきカエルなど、おもに教育デザインを担当。直近では、高校生百貨店プロジェクトにディレクターとして関わった。あだ名はしーちゃん。 教育の世界へ 「しーちゃんがほんまにしたいことをもっと突き詰めてみて」 スマスタが主催する「ユメコラボ」というプロジェクトのコンペで島田がプレゼンをした後、審査員を務めていたスマスタ代表の塩山から、二次審査の面談でそう声をかけられたのは2010年夏のことである。 発展途上国に学校を建てたり、NPOを立ち上げたり
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