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やる気の出し方
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<韓国歌謡の世界> 95kk117 横尾健太郎 大部分の日本人は、韓国の音楽の事を知る人はあまりいないのではないだろうか。隣の国なのに、韓国の音楽に親しむ機会はあまりなく、あったとしても演歌ぐらいだったと思われる。しかし、韓国の歌謡曲の世界も日本、アメリカ等の音楽シーンと同様に様々な発展や変化を続け、日夜変化し続けている。実際ここ数年、ダンス系ポップスの動きが日本へ積極的に紹介されるようになって、少しずつ韓国=演歌という先入観は拭い去られようとしている。ここでは韓国の歴史とともに変化し続ける韓国歌謡の流れを見ていく。 朝鮮半島文化は、祭祀に歌舞音曲を用いる事に三千年近い歴史を有すると言われる。伝統音楽においては、他文化からの楽器の流入や楽器及び奏法の開発によって、リズム、旋律、アンサンブル、歌唱法に独自の体系が形成されている。宮廷音楽、民謡、農楽、シャーマンによる巫楽、語り芸など伝統音楽
(1)2009年12月17日、刊行予定 (2) 九州大学 松原孝俊 <1>日本統治期台湾において、勅令31号を以て、台北帝国大学が開設されたのは1928年(昭和3年)である(註1)。それまで日本国内にあった東京・京都・東北・九州・北海道帝国大学についで、日本政府は朝鮮半島と台湾の二地域に、京城帝国大学(1926年開学)と台北帝国大学の、いわゆる「外地型帝国大学」の開学を許可した。これらの直接的な運営主体は、それぞれ朝鮮総督府と台湾総督府であったが(註2)、日本政府の帝国大学設置令(1919・大正8年2月制定、勅令第12号)に基づいて設置されたことは言うまでもない。 したがって台北帝国大学に対して、台湾総督府が植民地統治の威信をかけて、膨大な教育投資をおこなった。公式発表こそないものの、新聞報道によると、111万7千余円に達したという(註3)。その初期投資の大半は、キ
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