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park10.wakwak.com/~asian_travel_1
東南アジアを、安宿に泊まり、現地の交通機関を使い、陸路主体で一人旅をする旅日記のサイトです。ア ジ ア 旅 日 記 の サ イ ト スーツケースを転がして高級ホテルに泊まる旅ではなく、五体・五感で現地の空気を嗅ぎ分けながら、 バックパックを背負いバスなどを使いシャクトリ虫の様に移動速度を落とした旅日記です。 晩秋のイタリアを北のコモ湖から南のポンペイまでバスで下る旅日記。 イタリア北部、中部辺りまでは晩秋の日本の風景そのもの、違和感が ありませんが、ローマから南に下るとシュロの樹やサボテンが出てくる。 美術館ではイタリア古典絵画の本物に出会えて感激。 ローマでは映画 「ローマの休日」 でオードリー・ヘッブバーンとグレゴリー・ ペックが歩いた場所を辿る。 バチカン美術館は残念ながら入場出来ず。 ベスビオ火山の爆発により一夜にして灰に埋もれたポンペイ発掘遺跡。 バンコクを起
ポルポトが粛正の舞台の1つとした 暗号名S21と呼ばれる、 高校の校舎を改造した収容所。 拷問部屋、狭い独房の跡、処刑されていった人々の夥しい顔写真、拷問の様子を 描いたイラスト、髑髏(どくろ)で作ったカンボジャ地図・・・ 当時の悲惨な状況を良く伝えてくれる。 ポルポト政権が押し進める無謀な社会主義改革の中で、反改革分子と見なされた知識人、 僧侶、教師、学生、一般市民などが、この収容所で拷問の末処刑されていった。 正式記録では2万人(一説には数万人)が収容され、 無事生還出来たのは6名だけという悲惨さ。 顔に墨で ”×点” をつけられながらも、あらぬ空間を見つめ、不思議な笑みを浮かべる ポルポト像が展示してあるのは、場違いの感じがする。 私をバイクで案内してくれたバイク・タクシーのドライバーと昼食を共にしたが、 ポルポトについて聞いて見た。 この事件が有ったのは僕
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