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猫
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私の実家は、地元では名の知れたコロッケ屋だった。 過去形なのはとうの昔に店を畳んだからで、店主だった母も、父も昨年相次いで亡くなった。 そのコロッケ屋は、元々は精肉店であった。 八幡神社近くの小さな店で、母が朝から晩まで切り盛りした。 父は、テーラー職人だったらしい。 らしいというのは、父が服を縫っているところを、一度たりとも見た事がないからだ。 二階の物置部屋で、黒のジャノメミシンとトルソーと洋裁道具が埃をかぶっていた。ベルト式の足踏みミシンはとても大切なものらしく、触ると父に酷く叱られた。 しかし、仕立ての仕事は全く来ない。父は昼間から酒を呑み、ぶらぶらと遊び歩いた。 手に職も学もない母は親きょうだいに頼り、実家の家業である肉を商って三人の子を養うしかなかった。 父はますます不貞腐れ、肉屋の仕事を一切手伝わなかった。それだけでなく、何かと実家に頼る母が憎くて仕方ないのだった。 最初の頃
私は精神科の通院歴がある。でも現在は、通院も服薬もしていない。 難病と心臓の通院と服薬は生きていく限り続くので、メンタルどころではない。 精神科に通院していた頃は、辛かった。 カウンセリングも処方薬も効果を感じたのは最初だけで、どちらもすぐ効かなくなった。 救いを求めてドクターショッピングを繰り返しているうちに薬は大量になり、病院にかかる前よりもずっと具合が悪くなった。 そして私は、素人判断で通院も服薬もやめた。 私は、私を苦しめる全てから逃げる事で通院と服薬から離れられた。しかし簡単ではなかったし、決してそれを人に勧めたりはしない。繰り返すが、人に勧めたりはしない。 全てから逃げる事の出来る人は、そういない。 子供の頃から通知表に書かれていた「感受性が強い」特性は長い期間、私の欠陥であった。 とにかく私は泣いてばかりいた。泣き出せば何時間でも泣き続けた。 ひとたび何かのショックを受ければ
娘が小学1年の時だろうか。2年生か、とにかく7歳頃であった。 娘が学校から大泣きして帰って来た。そして、酷く怒っていた。 「ママのバカ!ママの嘘つき!ママなんか大嫌い!」 ほう、ママが大嫌いとは上等じゃないか。 しかし、この日の娘の怒りは尋常ではなかった。 それでも私には、こうなる予測がついていた。学校で何が起こったのか、ママ友ネットワークにより既に耳に入っていたからだ。 「サンタクロースなんて、本当はいないんでしょう? サンタクロースは作り話だって。クリスマスプレゼントは親がお店で買って来るんだって。 幼稚園児ならともかく、小学生にもなってサンタクロースを信じているなんて、バカみたいだって・・・Aちゃんが・・・Aちゃんが・・・」 娘はわんわん泣きながら、このような訴えをした。 「サンタクロースはいるよ、本当だよ」 「嘘つき!ママは嘘つきだ!うえーん!うえーん!」 「サンタクロースはね、サ
東北の高校を卒業してから現在に至るまで、思えば様々な仕事をしてきた。 とは言え学歴も資格も何もない私は、立派な仕事になど到底就けない。 最初の就職先は都内の、社員寮付き洋品店だった。 就活用パンフの白黒写真を見て、少し小さめなデパートと勘違いしてしまった。私の田舎には、3階建て以上の商業施設がない。 実際は地上5階地下1階の、ひょろり細長いおんぼろビルで、目蒲線のとある駅近くの線路脇に建っていた。 10分に一度、電車が通る度にビルは少し揺れた。 商品は激安のディスカウント品ばかり、客層はけち臭い貧乏人ばかりだった。 都会のデパートガールになったつもりで上京してきた私は、この職場にとても失望した。 嫌嫌働いたが、たった10か月で店を辞めた。仕事と住まいを同時に失った。 まだ19歳。私にはひとつの夢があった。本当は、作家になりたかったのだ。 でも結局、私は夢よりも安定を選びプログラマーを目指す
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