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掃除・片付け
bon-nyan.hatenadiary.jp
Twitterで、怒りを感じたときに声を荒げるかその人を見放すか、みたいな話題があった。 私に関して言えば、高校時代くらいまでは声を荒げる派だったように思う。 典型的な学級委員長タイプで、「ちょっと男子ぃ、ちゃんと掃除しなさいよ!」みたいな感じ。 大学時代は、見放しタイプ。 恋人や友人と喧嘩すると、「こいつとは何もしゃべりたくねぇ…。」と思ってだんまりを決め込んでいた。 今でも、声を荒げるまではいかなくてもちょっとドスの効いた声を出してしまうこともあるし、苦手な人とは距離を置くこともある。 でも、理想的には「自分の感情をきちんと言語化できるようになりたい」と思っていて、このサブブログをはじめ、様々な場面で練習しようとはしている。 自分がどちらのタイプも経験して、かつ今までキレ派にも見捨て派にもキレ逃げ派にも出会って感じたこと。 どのタイプも決して良いものじゃない。 まずはキレ派。 人にえら
昨日、東京で友人のナカヤママリコさんが主催するイベントがあったので、ちょっと支援してみた。 ぶっちゃけ、どんなイベントなのかは知らない。 対談するお二人に対する印象も、佐々木さんはベストセラー作家というよりただのミニマリスト仲間だし、山下さんはよく知らないけど変な服作ってる人、というイメージしかない。 ただ、マリコさんにとってはそうではない。 1月に佐々木さんのトークイベントがあったとき、私は「前から泊まってみたかったゲストハウスだし、日頃交流のあるブロガーさん達も来るって言うし、行ってみよー」と半分冷やかしで参加してたんだけど。 「何でも楽しめる人」になる〜ミニマリストinゲストハウスほどほど〜 - 全力にゃんす! このときに、佐々木さんに対して山下さんの魅力を語り、この二人を対談させてみたい、と語っていた。 誰かに対してそこまで熱狂的になったり、興味を示すことがあんまりない私にとっては
昔から、本屋巡りが好きだった。 最も古い記憶は、昔ばなしの絵本を立ち読みしていた頃だったから、人生で一番長く続いている趣味かもしれない。 自分が当時よく行っていた本棚のジャンルを振り返ってみると、その頃考えたり悩んだりしていたことが分かって面白い。 心理学や宗教・哲学関連の書籍を漁っていた頃。 ひたすら好きな作家さんの小説を集めていた頃。(中高生の頃は、宮部みゆきさん・浅田次郎さん・遠藤周作さんの著書が好きだった) ビジネス書や自己啓発本に傾倒していた頃。 最近はダイビングの影響もあって、水中写真やお魚の見分け方や身体の鍛え方に興味が湧いてきた。 つい数ヶ月前まで、あれほど熱心に読み漁っていた女性向けエッセイや文章術の本も、今ではタイトルを眺めても全く手に取る気にはなれない。 読みたい本のジャンルが変わると、良い悪いではなく、人生のステージが次に変わったのだなと思う。 人生という大きな書庫
ゲストハウスを旅していると、面白い人たちによく出会う。 この前は、偶然その場に居合わせた10人くらいで呑みに行った。 年齢も国籍もバラバラ。 常時3ヶ国語くらいが飛び交い、もはや誰が何語を話しているのか分からない状態。 そんななかでも盛り上がるのが、やはり恋バナ。 世界を気楽に旅している人たちの恋愛は、やはり自由奔放。 職場に来たお客さんにビビッときて、そのまま結婚しちゃった! とか、 お互いに言葉もよく通じてないけど、一緒に踊ってた人と一時間後にカップル成立! とか、 世界一周中に旅先で偶然出会った人と帰国後そのままゴールイン! とか、本当にそんなことってある!?みたいなことばっかり。 いやいやそんなインスタントな関係なんて、どうせ飽きたらすぐに断捨離ポイポイの性欲マキシマリストなんでしょ?とか思っていたら、皆さん結婚5年目とか、国境を越えての遠距離続いてます、とかで己の愛情のミニマリス
本屋さんに行くと、「猫のように自分に正直に生きよう!」とか、「猫のように自由気ままに人生のんびりしよう」みたいなタイトルの本をよく見かける。 職業柄か、そういうのを見るたびになんだかモヤモヤする。 猫さんたちのストレス性疾患って意外と多いのだ。 ・新しい仔猫をお迎えしてから、お腹を下しっぱなしの子 ・家のリフォーム工事で大きな音がするようになってから、血尿が出る子 ・来客があったことでイライラして自分の体を舐めまくってハゲたり傷になったりする子 原因がストレスの場合だと、いくら検査しても異常は見つからず、環境が落ち着くまでは症状も治りにくかったりするので、わりと獣医師泣かせである。 生活環境の改善等についてアドバイスをしながら、この子たちも色んな事情を抱えて大変なのだなぁとつくづく思う。 また、猫には人の顔色など伺わず、一人でも好きに生きているイメージがあるが、それもどうなんだろうと思って
優しさってなんだろう? 「にゃんすさんって優しいですよね。」と言われることがたまにある。 それが私の厚意に対する感謝の気持ちから出た言葉のときは、すごく嬉しい。 しかし、ほとんどの場合、「優しさ」というのは違う意味を持つ。 人に対して強い態度を取れなかったとき。 頼まれたことを断りきれなかったとき。 誰かのためというより、ただその場しのぎで甘やかしているような行動を取ったとき。 大抵は、そんな私に呆れているか、便乗して厄介ごとを押し付けようとしているか、人に振り回されている私を戒めようとしてかの発言である。 それは決して褒められているわけではないし、正直言われても嬉しくない。 私自身、人に優しくするのは自分に自信がないことの穴埋めなんだろうかとか、共依存なんだろうかと思って散々悩んだ。 しかし、仕事でもプライベートでも、私が優しいのは「弱っている人(動物)が、助けが必要なほど困っているとき
獣医師になるという幼い頃からの夢を叶え、好きなことを仕事にしている。 この点については、人からよく羨ましがられるし、自分の大きなアイデンティティの1つにもなっている。 しかし、毎日好きな仕事ができて幸せ!人生最高!と思っているかと言われれば、正直悩む。 私にとっての「好きを仕事にする」人生のほとんどは、その辛さと向き合うことだった。 あらゆるものを犠牲にしながら死ぬほど勉強して難関学部を突破したにも関わらず、 医歯薬系や外資に進んだかつての学友に比べれば薄給。 急な残業や休日出勤は日常茶飯事。 長期休暇は取れない。 一日中立ち仕事で身体的に疲弊する上に、 余命宣告や安楽死など精神的につらいことも多い。 好きだけど、しんどい。 そのしんどいと思ってしまう自分が許せなくて、散々責めた。 好きだけじゃ、ダメなんだ。 そう思って、あらゆるものを手放した。 勉強するために、友達と遊ぶことやお洒落や恋
繁忙期ということもあり、勤務時間中はいつもよりバリバリ働いている。 一日中、キビキビ動いて、ハキハキ話して、ビシバシ指示して。 家に帰ってもこのモードが抜けずに、ちゃきちゃき家事をこなしたりもする。 しかしその一方で、旅先などの完全にオフなときはなんだかフニャフニャしている。 道には迷いまくるし、人とは目を見て話せないし、ぽんこつっぷりも甚だしい。 以前はこのギャップが自分でも嫌いだった。 ばりばりモードから入って、かっこいい・キラキラしている等のイメージをしてくれる人たちには、意外とつまらない・自信なさそうなどと幻滅される。 ふにゃふにゃしているときの、大人しそう・優しそう等のイメージから入ると、今度は恐いとどん引かれる。 どちらも自分の一面であることには変わりないのに、単に見えかたの違いなだけなのに、そんな勝手な評価を押しつける周りも、そんな評価に振り回されて傷つく自分も許せなかった。
好奇心が旺盛なので、やりたいこと、やってみたいことがたくさんあってなかなか手が回らない。 その一方で、かなりのめんどくさがりなので、何もせずにだらだら過ごしたいと心の中で駄々をこねる。 やりたいことをやる。 何もせずにのんびりする。 この両立がなかなか難しい。 どっちかだけをやっていても、もう片方の自分が満たされなくてざわざわする。 これをどう解消すべきか。 とりあえず思いついたのがこの3つ。 ・のんびりしながらやりたいことをやる ・やりたいことを細分化する ・のんびりするときはメリハリをつける たとえば、カフェでのんびりお茶しながら読みたかった本を読む。 これはどちらの欲求も満たされるので、満足度は高い。 やりたいことは、一度に全てを終わらせなくても、少しずつ進んでいるという実感があればモヤモヤ感を減らすことかできる。 のんびりすることは、長時間でなくても、ゆっくりコーヒーを淹れて飲む1
先日、10年近く愛用していたカップを割ってしまった。 ぼんやりと考え事をしながら洗い物をしていたせいで、ついうっかり落としてしまったんだけど、このときは過去に人からされた理不尽な仕打ちに対してイライラをつのらせていた。 そんなことをしても、現在や未来が変わるわけでもないのに、時々そんな思い出し怒りにとらわれてしまうことがある。 カップが割れる大きな音とその後の処分の手間は、その思考を中断させるのに大いに役に立った。 もしも、こうありたいと願う理想の未来があるとすれば、その未来で感じているであろう感情と同様の感情が得られるような体験を選択していくことが大事だと、自己啓発関連の書物などにはよく書かれている。 過去の不幸を嘆いて、その負の感情を追体験するのは、全く真逆の行動である。 長年連れ添ったカップに対する後悔と懺悔の念は、思い出し怒りへの気付きと手放しへと形を変えて、自分の中にそっと置いて
私は極度の方向音痴である。 どこかへ行くときにはGoogleマップが手放せない。 バスや電車の乗り間違いはもはや想定の範囲内。 ひどいときは新幹線の上りと下りですら間違えたりする。 小さい頃はよく親から「お前が誰かの後ろにくっついてばかりで、自主的に動こうとしないから道を間違えるんだ。」と怒られていた。 そういうものかと思って、1人で行動する範囲を広げてみたり、誰かと旅行するときは率先して道を調べてみたりしたけど、やっぱり方向音痴は変わらないままだった。 1人で迷えば心細くて泣きそうになる。 誰かと迷えば責められて泣きそうになる。 知らない土地を歩くときは、いつも不安で一杯だった。 でも今は違う。 1人で迷うのはまだちょっと怖いけど、「まぁ何とかなるさ。」と歩いていれば、思いがけない人や物に出逢ったりする。 誰かと迷ったときに、一方的に幻滅されたり責められたりすることも、もうない。 地図が
一日の食事のなかで、一番昼食に力を入れている。 気をつけているポイントは、 ・お昼が楽しみになるような内容であること ・午後のエネルギーになってくれること ・食後に眠くならないこと の3点。 巷には「健康には〇〇が良い!」「△△はダメ!」みたいな様々な情報が飛びかってはいるが、結局は自分の体で試してみてみるしかない。 そうして色々なものを取り入れたりやめたりを繰り返したりして行きついたのが今のスタイル。 ・雑穀とひじき入りの玄米 ・野菜スープ ・20-30g程度のタンパク質 これを2-3日分まとめて作る。 野菜はカット野菜でも冷凍でも良い。 タンパク質も何でも良くて、スープに一緒に入れることもあれば、本当に何もしたくないときはゆで卵や魚肉ソーセージになったりもする。 気の赴くままに、適度に力を抜いてやるのが、飽きずに続けるコツ。 今日は疲れたし夜また仕事いかなきゃだし家事したくないよおぉぉ
私の文章の弱点は、重い・堅い・長いことだ。 もっとこう、 ゆるゆる〜 ふわふわ〜 まったり〜 な文体にしつつ、言いたいことが伝えられればなぁと思っていた。 しかし、いざゆるふわな文章を書いてみるとどうもしっくりこない。 まったりした気分で書いてないからだと思って、お風呂の中で書いてみたけど、特に文体に変化はない。 童心に返ってみたら良いんじゃないかと思って、アンパンマン列車に乗ってブログを書いてみたら、ジャムおじさんに見つめられ続けひたすら書きにくいだけだった。 結局わたしはどうしたいんだろう? 一文を短くする・あえてひらがなを使う・分かりやすい言葉を使うなどのテクニックで文章を整えたいのか。 親しみやすい文章にすることで、良い人に見せかけたり、人から好かれようとしたいのか。 たぶん私が憧れていた柔らかさというのは、思考だったり表情だったり、「余裕を持って生きること」なんだと思う。 頭のネ
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