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猫
bullbull-musao.hatenablog.com
6月末で、30年以上勤めた会社を退社します。 今の会社に入社した時は、会社小さかったな。 20人くらいしか社員いなくて。 営業収入も年間10億円にもいかないくらい。 でも、若い時から好きなようにやらせてもらいました。 というのも子会社だったので、上司はすべて出向者。 2・3年すると親会社に戻って行くし、業界の事も知らない、 だから、私が好きなように出来たというのもあるかなぁ。 本当は腰掛けのつもりで入社したのです。 でも、私の人生の大部分の時間を共に過ごすことになってしまいました。 たくさんの商業施設の開発に携わって、 私も会社とともに成長していったのかな。 でも、プレッシャーはありましたね。 20歳代や30歳前半で何十億円の仕事をするんですよ。 その頃から心療内科に通うようになりました。 まだ、メンタルクリニックとか一般的でなかったんです。 腹痛や動悸でクリニック行っても特に問題なし。
自転車の譲り受けで神奈川に行きました。 輪行袋に入れて電車です。 でも、外はあまりも快晴! 多摩川を渡ったところで途中下車。 「そうだ、京都へ行こう!羽田空港の三角点に行こう!」 ということで、羽田へ行きました。 どこを走ったの 多摩川 二等三角点「羽田」 白魚稲荷神社 穴守稲荷神社 昔の穴守稲荷 拡大を続けた羽田空港 どこを走ったの まずは、六郷土手駅で下車。 輪行袋から自転車を取り出してスタンバイ完了。 六郷土手駅は、多摩川の堤の直ぐ近くなんです! どういう経路を走ったかは下の通りです。 多摩川 多摩川の堤を走らせました。 コロナの中、河川敷には多くの人がに出てました。 堤にも、自転車を走らせる人や ジョギングや散歩の人でそこそこの人出。 いや〜、気持ち良かったです。 風も心地よく、本当なら多摩川をずーっと走っていたい。 まず、目に付いたのが、「六郷水門」。 これは、昭和6年(1931
前日の雪から、やや快晴になりました。 といことは、街歩きですよね。 今回は、代々木あたりをウロチョロしました。 代々木の煉瓦橋 地図からの類推 山手線の原型 代々木の煉瓦橋 代々木駅の南側は、山手線の下を通る道が連続してます。 山手線の下をくぐると、すぐ、踏切があります。 貨物線、では無く埼京線の踏切です。 相鉄の車両が走ったり、 伊豆急下田行きの新しい車両が走っています。 撮り鉄さんがちらほら。 さらに渋谷側に行くと、煉瓦造りの架橋が現れました。 前後は、築堤の上を電車が走っているのですが、 一箇所、煉瓦造りの架橋があるのです。 築堤と架橋が見えるでしょう。 架橋の造りは、煉瓦の橋脚です。 一体、何時出来たのかな、この架橋。 こんな感じです。 見た感じ、古くも見えるし、新しい感じもしなくはないです。 上下で、違うみたいだし。 でも、イギリス積みということは、初期の造りかな。 どこにあるか
「比叡山に行って来た」のその2は、坂本! 石垣の町、坂本 穴太衆積み 石垣の町、坂本 比叡山への滋賀県側の登り口に坂本の町があります。 京都駅から北東、約15kmの位置にあります。 京都駅からは湖西線で比叡山坂本駅に行くことができます。 または、地下鉄の東西線の三条駅から京阪京津線でびわ湖浜大津駅まで行き、 京阪石山坂本線で坂本比叡山口駅に行くことができます。 JRと京阪で微妙に駅名を違えているのが笑えますね。 坂本の町は、卍だらけの町です。 延暦寺で修行をしたお坊さんの里坊が沢山あるとのことです。 穴太衆積み 穴太衆は、安土桃山時代に活躍していました。 きっと、安土城の石垣も造ったのでしょうね。 いたるところに石垣が残っています。 安土桃山時代に活躍した穴太衆の痕跡ですね。 穴太衆積みの説明板がありました。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
先日の台風の影響がまだ傷跡を残している。 多摩川の流域での被災が報道されている。 自然が牙を剥く脅威に対して、我々人間は色々な技術で対抗しようとしている。 人間が自然の脅威に勝るということが可能なのか、私はわからない。 ともあれ、今回の台風19号において、神田川、善福寺川や妙法寺川などにおいては被害は報道されていないように思う。 また、都内の隅田川や荒川、中川周辺も何とか持ちこたえたようである。 今回は、治水についてまとめてみた。 調節池 首都圏外郭放水路 城西エリアの治水対策 神田川・環状七号線地下調節池 荒川放水路 荒川の変遷 放水路の必要性 放水路の経路の策定 放水路の開削 その後の改良 放水路の効果 調節池 都内の密集市街地においては、中小の河川がある。 市街化により田や畑の氾濫原も無く、中小の河川からの越水が起きてしまう。 そこで、調節池ということとなったのではないか。 規模の大
今回は、東京大学の敷地内にある三角点。 三等三角点「大学」がある東京大学 台地上にある東京大学 傾斜の程度 台地を削って出来た神田川 三等三角点「大学」がある東京大学 三等三角点は、東京大学の総合図書館の屋上にある。 東京大学は、江戸時代は前田藩の上屋敷であったところ。 御茶ノ水駅や水道橋駅の北側にある。 航空写真で見ると、下のとおり。 不忍池や東京ドームもすぐ近くにある。 東京大学の総合図書館の窓口に行く、三角点巡りをしていることを伝えた。 窓口の方は、「はい、三角点ですね」と三角点を知っていた。 これまで、敷地内へ入る許可や写真撮影の許しを乞う時、「三角点?何ですか?」と逆に聞かれることもあった。 あるいは、三角点は知っていても、「えっ!敷地の中にあるの?」と言われることもあった。 さすがというか、伝統ある学府だけある。 「担当に見ることが出来るか確認してきます」とのこと。 安全面から
今回は、市ヶ谷の防衛省の敷地内にある三角点です。 三等三角点「市ケ谷」 市ヶ谷台の歴史 防衛省見学 スリバチ地形の宝庫 三等三角点「市ケ谷」 新宿区の新宿駅と市ケ谷駅を結ぶ靖国通り。 その市ケ谷駅側に防衛省がある。 防衛省に入ることは難しいと思っていたが、防衛省見学(市ヶ谷台ツアー)なるものがあった。 防衛省の見学も興味があったことから、施設の見学のついでに三角点も見れればいいなと思い参加を申し込み、行ってきた。 防衛省の敷地内に、メモリアルゾーンという場所がある。 昭和25年の警察予備隊創設以来、国民の命と財産を守るため、そして、国際平和への活動を行なって来ている。 その中で、訓練演習、災害派遣などの活動において、2,000名近くの殉職者がいるとのことである。 「メモリアルゾーンのご案内」(防衛省)より転載。 あまり知られてはいないが、少なくとも、私は知らなかった。 その殉職された隊員に
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