終戦当時、内務次官であった灘尾弘吉氏は、昭和22年、GHQによって公職追放となる。しかし、彼は社会福祉関係を渡り歩き、警察・治安関係とは無関係であったことから、GHQに追放解除申請をするように周囲は勧めた。だが本人は「解除したければGHQがするべきだ」 と信念を貫き、生活の苦しさにもかかわらず、それを意に介することはなかった。 昭和26年に追放が解除されたとき、彼に心酔していた多くの人々が政治家に立って欲しいと言ってきたが、彼は「政治家は嫌いだし、なりたくもない」と頑固に断り続けた。その彼が最後にとうとう首を縦に振ったのは、その人達の中からの「政治家になりたい人間ばかりが政治家になったら、日本の政治はどうなるんですか!」 という一言が彼の心に刺さったからである。 昭和27年、彼は衆議院総選挙に立候補した。地元ではそれ程知名度もなく、組織票も無い上、演説も訥弁で声も小さく、地元の利益など一切