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WWDC24
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個体差が大きいと、RCTで評価できないというような、奇怪な主張をしている方々がいる。たぶん、この人たちは介入の無作為化の意味を理解していない。また、二重盲検法がRCTの最重要ポイントだと思っている人けっこういて、これはちょっと違う。肝は介入の無作為化である。 たとえば、あるクリニックにやってきた、インフルエンザと診断された人たちを無作為に2つの集団にわけ、両方ともタミフルで治療したとしよう。すると、無作為に振り分けているため、それぞれの集団におけるインフルエンザが治るまでの日数の平均値の期待値は、両集団で等しくなる(集団を振り分けなかった場合の平均値の期待値に等しい)。 個体のレスポンスの差がとても大きいと、平均値の期待値が等しくならない、などということはない。そもそも、無作為化の最大の動機は、個体差がどれだけあろうが、集団を無作為に分けたなら、平均値の期待値が等しい複数の集団が構成できる
統計的仮説検定は、作物や家畜の品種改良や、医学研究において、非常にマッチした道具である。有意差が見出されなかった場合、消極的に帰無仮説を受容するが、作物や家畜の品種改良では、実績のある在来品種が存在し、医学研究では、実績のある既治療(標準医療)が存在しているから、この消極的な受容は合理的だと思う(プラセボも既存治療に含んで考えている)し、間違うことを承知で判断するのも合理的だと思うからだ。もし、標準医療の存在しない深刻な疾患であれば、仮説検定の枠組みをかなり緩めて対応するだろう。公衆衛生の分野では、効果の無い対策を乱発するのを防ぐ意味で、帰無仮説の消極的受容は合理的だと思う。 この、統計的仮説検定、応用分野、というか、実益を得ようとする分野では強力な武器であるけれど、基礎的というか、知的好奇心を追及するような、より学問の本質的な部分をやる分野では、あまり使ってはいけないと、ずーっと前から思
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