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ブックレビュー
da-yama.hateblo.jp
人は、新たな挑戦へ行動を起こす前に、 何かと「やらない」理由を考える。 故に、多くの人は、 「やらない理由より、やる理由を考えろ!」 なんて語る人も少なくない。 しかし、なぜ「やらない」かを考えもせずに そればかり語るのも、愚かなものだ。 わけもわからず、 「やれ!」と言っているだけだからだ。 では、なぜ人は「やらない」選択をするのか? 挑戦をすれば、 新たな人生を切り開けるかもしれないのに。 挑戦し続ければ、 いつかは必ず成功するかもしれないのに。 一生懸命、挑戦することの良さを伝えても、 何かと「でも私には無理かなあ~」と、 「やらない」選択をするのか? それは、 “失敗したくない” からだ。 なぜなら、 人の行動の本質的な理由。 それは、“痛み”を徹底的に避ける行動をする。 これは、悪いことではなく、 人が生きていく上で必要なこと。 もし、刃物で切られ続けても、 “痛み”を感じなけれ
”後悔” 多くの人は、この“後悔”をしない様に生活をしたい。 悔いがなく、自身の人生において、 選択のミスがない方が良いと願う。 そういった人の考えにビジネスが生まれる。 「今のままで将来の人生は後悔する」 「その選択は後悔がないか?」 「何もしないで後悔するのか?」 と、見込み客や他人に認識をさせ、 「後悔のない人生を送ろう」 「どうせ後悔するなら、やって後悔しよう」 「後悔のない選択をしよう」 この様に現状や将来の不安を煽り、 人生を変える選択肢を見込み客に見せる。 これは、以前投稿した 快楽の強制 を用いた、 セール手法である。 見ていない方は、 快楽の強制をクリックして確認してほしい。 では、本当に“後悔”のない選択とは出来るのだろうか? 例えば、AとBの商品があるとしよう。 どちらも、買い手の人生を良くするものだ。 Aの商品しか知らなかった場合、 選択肢はひとつしかないため、購入
“考えない人“ 言葉では簡単に表現できるが、 具体的にどのような人の事をいうか? それは、 「正解を求める人」 のことだ。 何をしても、どんな事を考えても、 「どのようにしたらいいのか?」 「何をすれば失敗しないのか?」 「どれを選択すれば正しいのか?」 そう。自分で “考える”事を拒否している。 こういった人間は 「思考停止」 状態だ。 しかし、“考えない人”が出来上がったのには理由がある。 それは「日本の教育」が大きく関係している。 1+1=2 これが問題の根源だ。 なぜか? それは、「正解」が存在しているからだ。 これは算数や数学だけではない。 国語や理科、社会でも「正解」が存在する。 鎌倉幕府が出来た年号はいつか? 15年前であれば、1192年であった。 しかし、今は1185年だ。 もっと言えば、この1185年だって本当かどうかわからない。 故に未だに研究している人がいる。 それで
“質問“ 学校の授業を始め、家庭での会話。 セミナーや講演会、ビジネスなど・・・ 日常的によく使われ、時には相手を鋭く攻める言葉だ。 まず、“質問”とは? わからないこと、疑わしいことを問いただすこと。だ。 実は“質問”には、質が求められる。 そう、 “質問の質”だ。 この、“質問の質”が低ければ、 導きだされる「答え」も必然的に低く、 使い物にならない事が多い。 そして、多くの人が行う“質問”は、 その“質問の質”が極めて低い。 ゆえに、その「答え」の質も低く、 使い物にならないのだ。 例えば、 「夫婦関係を上手くいくようにしたい! そのためにどうすればいいか?」 という質問だ。 他人の成功体験や、失敗体験を参考に、 自身の夫婦関係を改善させようと考えている。 結論から言おう。 他人の夫婦関係が、自身の夫婦関係に当てはまるわけがない。 その他人から、具体的なアドバイスをもらったとしても、
人は、他人に優しい言葉をかけ、 他人の事を想って行動を行ったりする。 友達や恋人、夫婦や家族など・・・・ また、ビジネスでも同じである。 クライアントや見込み客に対し、 ビジネスパートナーに対しても。 しかし、人に好かれたり、気に入られたりと、 「認めてもらう」事は中々ない。 むしろ嫌われる結果になることが多い。 それはなぜか? 考えのベースが、「嫌われたくない」からだ。 「相手の事」を考えている様で、 実は「自分の事」しか考えていない。 矛盾した考えだ。 「人は、全ての人に好かれたい。」 という考えを多くの人は否定している。 というより、この考えは達成できない事を知っている。 なぜなら、この世は「ウソの世界」だからだ。 好きでもないのに、好きと言い、 好きなはずなのに、嫌いと言う。 時には、嫌いだった人を突然好きになったり、 その逆もしかりだ。 例え、夫婦であろうがパートナーが本当に好き
“悩み” 人であるなら、ほとんどの人が抱えるものだ。 ・人間関係 ・職場 ・仕事内容 ・お金 ・健康 など、人それぞれで“悩み”も変わってくる。 では、なぜ“悩む”のか? 当人の行動が上手くいっていないからだ。 と言いたいとだが、 そこは問題ではない。 実は、その悩んでいる先が 「不明確」だからだ。 今やっている行動、考えが、現時点で上手くいっていなくても、 やり切った時に、成果や結果が出る。と分かっているものに対して、 いくら現時点で上手く行っていなくても、“悩み”はしない。 逆に、現時点で上手くいっていたとしても、 これからの将来や未来で、上手くやっていけているのか? と、 先が「不明確」なものに対して、“悩む”のだ。 そう、現時点で成果や結果が出ているかではなく、 これから先に成果や結果が出ているかどうか?である。 そして、ハッキリ言おう。 その「不明確」な未来に対しての“悩み”は解
「自己肯定感が低いと行動が出来ない。」 故に、 ・今の自分を認めてあげよう。 ・過去の自分を許してあげよう。 ・自分を否定していてはいけない。 と、自分自身に対して、 もしくは、悩んでいる人に対してアドバイスをする人が多く存在する。 もちろん、我がコーチング・コンサル業界でも流行っている。 では、自己の肯定は本当に意味があるのか? まず、“自己肯定“とは。 曰く、 不安、不満、嫌い、ダメ、ネガティブなどなど・・・・ そんな自己を認めたり、許してあげる事から始める。 そして、行動に対してのブレーキやブロックを外し、 アクセル全開で行動が出来る。 しかし、そんな不満だらけの自分を作り上げた過去を 認めたり、許したりする意味はあるのだろうか? 結局ブレーキを外したところで、 アクセル全開で向かっている先は、 その「許し」「認めた」過去と同じ事を繰り返しているだけ。 出来上がる自分は結局、成果の出
“依存“ という言葉を聞いて、多くの人は何をイメージするか? ・薬物依存 ・アルコール依存 ・ギャンブル依存 ・セックス依存 ・スマホ依存 などなど・・・・ 数えればキリがない。 意味としては、それを欲し、無ければ渇望する状態。 また、“依存”からは、悩みや問題が生まれやすい。 これらの内容を見たり聞いたりする前に共通していること。 それは、「マイナス」のイメージであることだ。 ニュースや新聞、そして普段の会話の中での使われ方からして、 マイナスなイメージが定着したと考えられる。 たしかに、上記の例のどれか無しに生きていけない。 となると、共感を得る人が居たとしても、 良いイメージを持つことは難しい。 逆に「“自立”している人」と聞くと、 なんだか、プラスなイメージさえある。 そしてどこから“依存”で、どこからが“自立”なのか? 実は明確なボーダーラインは存在しない。 強いて言うなら、世間
人は、自身が始めたことが”終わる”と考えていない。 恋愛、夫婦、友人、などの人間関係を始め、 就職先、立ちあげた事業や会社、ビジネスパートナーなどなど・・・・ いつまでも上手く続く事を願い、考えている。 しかし、この考え方は本質的には矛盾した考え方だ。 人は、必ず「死ぬ」としたとき。 恋愛や夫婦、友達関係が “終わらない”という事自体が矛盾なのだ。 就職先、事業、会社、ビジネスパートナーも同様である。 5年でつぶれる会社は9割以上であり、 何十年も続いてきた大手企業でさえ、合併されたり倒産する時代である。 しかし、 人は“終わる”という概念を視野にいれて物事を考えない。 「終わる事を考えるから、それを引き寄せる。 故に、“終わる”事を考えてはいけない!」 なんて、矛盾極まりない考えこそが愚の骨頂だ。 始めたそれを続けて成果や結果が出るなら問題はないだろ。 しかし、時代は流れていて、ニーズの
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