『「80年代地下文化論」講義』を読み始める。ほぼ半分(しか)読んでいないけど、キモはここ 「これ、かっこいいね」って言ったとき、それだけじゃすごく浅い感じがするんだけど、でもこれを、もっと深く考えていくと、そうした感覚の共有そのものが、いったいなんであるのかという疑問になるでしょう。きわめて時代の表層でしかないかもしれない、その感覚をあらためて問い直したとき、はじめてわかることがあるはずです。 で、ピテカンを軸に「かっこいい」としか言えない「80年代地下文化」を論じていくのだが、「かっこいい」ものを列挙していけばいくほど、その「かっこよさ」はなにゆえ?という事が確定できなくなる。(しかし感覚的には「わかる」)。このアポリアが、現在「80年代地下文化」を正当に継承することの難しさになっていると思えるが... ここで補助線を一つ。この「かっこよさ」がねじれたものであるということを知ると、理解は