袁紹(えんしょう)と河北の覇者の地位を争った公孫瓚(こうそんさん)。 彼の率いる白馬の騎馬隊は白馬義従(はくばぎと)と呼ばれる精鋭騎馬隊で袁紹や異民族達から恐れられていました。また蒼天航路(そうてんこうろ)や三国志演義(さんごくしえんぎ)では劉備(りゅうび)と一緒に董卓(とうたく)討伐戦にも参加しています。 更に後に五虎将軍の一人として活躍する趙雲(ちょううん)を一時期配下にしていました。このよう劉備との関係も深い公孫瓚ですが、今回は彼を紹介するわけではありません。彼の息子に光を当ててみたいと思います。一体公孫瓚の息子はどのような人だったのでしょうか。 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関