江戸城の無血開城と言えば、西郷隆盛(さいごうたかもり)と勝海舟(かつかいしゅう)の交渉が有名ですが、影の立役者として大奥(おおおく)が動いていました。今回は影の立役者として篤姫(あつひめ)と和宮(かずのみや)を中心とする大奥について取り上げます。 『篤姫と幾島(いくしま)の本当の関係は?』によれば、篤姫の側近・幾島は13代将軍徳川家定(とくがわいえさだ)の死後に江戸城を去りましたが、徳川家と薩摩藩の間で何か問題があれば江戸城に入って調整役を引き受けていました。篤姫は江戸での旧幕府軍と新政府軍との衝突を避けるために、調整役の幾島が病を推して官軍に篤姫の手紙を届けました。幾島という調整役がいたから篤姫は影の立役者になれました。 この記事では、江戸城無血開城について取り上げます。後半で世界の革命と江戸城無血開城を比較して、江戸城無血開城が稀有なケースである理由について取り上げます。 監修者 ka