徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)と言えば、水戸藩出身で最後の将軍として有名です。高校の日本史の授業で、13代徳川家定(とくがわ いえさだ)の後継者として徳川慶福(とくがわ いえもち)(後の家茂)と一橋(徳川)慶喜との争いや大政奉還(たいせいほうかん)で勉強したと思います。大政奉還後の旧幕府軍と新政府軍の戦いである戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いで敵前逃亡をしてから謹慎生活を送り、恭順の意思を示した人物として勉強したと思います。 徳川慶喜について勉強した人は大政奉還した最後の将軍として取り上げられただけで、大政奉還後の生活については知らない人のほうが多いと思います。ここでは、徳川慶喜の大政奉還後の生活について紹介します。鳥羽伏見の戦いで謹慎生活を送ってから静岡で隠居生活を始めます。 最初に、静岡での隠居生活に至るまでの過程について取り上げます。次に、徳川慶喜が静岡で過ごした屋敷が浮月楼として残って