魯粛(ろしゅく)が病死した後、荊州の政略を担当したのは誰でしょうか? 大半の人がそれは呂蒙(りょもう)と答えると思います。しかし、その答えは不正解で実は厳畯(げんしゅん)という人物だったのです。ところが厳畯は孫権(そんけん)の指名を辞退、その後任として呂蒙が決定しました。一体、どうして厳畯は魯粛の後継者を拒否したのでしょうか? 監修者 kawauso 編集長(石原 昌光) 「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるな