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GPT-4o
itono-tono.hatenablog.com
どうも、いとのです。 幼い日に忘れてきたこと。 先日ふと、昔の荷物のなかから小っちゃい頃に大事にしていたポーチを見つけて、あれ、これ何入れてたっけ?と、何気なくチャックを開けたら、 当時熱心に作っていた安っぽいビーズのネックレスやらブレスレットやら指輪やらが、中からぼろぼろこぼれ落ちてきて、唖然としました。 ついほろっと泣きそうになったけど、結局泣けはしなかった。 まあここで素直にほろほろ泣けるような人間なら、情緒の在り様もだいぶ違うのでしょう。 なんといいますか、単純に、ちょっと衝撃を受けたんですよ。 幼いときの私は、綺麗なもの、可愛らしいものに対して、ほんとうに正しくて誠実な愛情を抱けるだけの感性を、きちんとそなえていたんだなあと思って。 いまの私には、明らかに欠けている感性です。 どこに忘れてきたんでしょうね。 どんなに他愛ない品物でも、どんなくだらない本でも文章でも、 そういう感性
どうも、いとのです。 この頃ちょっと思うこと。 もういない人 認識されることだけが存在の意義じゃない 精神軸を支えてくれる何か ほんとうを書きたい もういない人 「自分の中では、もう死んでいる人」というのがいる。 実際のところは、その人はまだ存命なのだけれど、私にとってはもう、すでにこの世界にはいない人。 こういうことを言うと、そんなの縁起でもないからやめなさいと怒られるでしょうか。 縁起でもない、それはもちろん、ごもっとも。 でも、現実の世界で口に出すことは絶対にしないから、許してください。 何と言いますか、これはつまり、私なりの、一種の処世術のようなものなのです。 量子力学の世界では、この世の物質はすべて、観測者がいて初めて存在するという考え方があります。 つまり、この世界のひとも物も動物も何もかもぜんぶ、私たちがその存在を認識しないかぎりは、「そこにいる」ことにはならないのです。 だ
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