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パリ五輪
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映画を作り始めてから数年が経ち、いよいよ完成が近づいてきました。 新しいものを作れるのは、これまでの道のりがあってこそだと実感しています。 1990年から96年の連載時期、そして今日までの長い年月。 ジャンプで、単行本で漫画を読んでくれた人たち、TVアニメを見てくれた人たち、そしてリアルタイムでなく新たに出会ってくれた方たち、ありがとうございます。 毎週の連載をしていた頃、編集部に送られてくる読者からの感想のお手紙を読むことが自分にとって一番の励みでした。当時の自分はまだキャリアも浅く、正直に言えば、感謝の気持ちのほとんどは読者の人たちだけに向けられていたような気がします。 時は流れ、今はもう少し視野が広がり、もっと多くの人に対する感謝の念が湧いてくるようになりました。 漫画もアニメもそれぞれの現場で、制作から人々に届けるまでの過程でたくさんの人たちが携わってくれました。そんな全ての人たち
琉球ゴールデンキングスのガード岸本隆一選手と対談しました。 (対談の記事はこちら: http://www.asahi.com/articles/ASJ845SRWJ84UTQP031.html) 琉球キングス入団までの経緯の話は興味深いものだった。 北中城高校バスケ部1年の時、沖縄に琉球ゴールデンキングスができた。 地元初のプロバスケチーム。 本人曰く生意気な高校生だった岸本少年は、 「どれ、どんなもんか見てやろうか」 くらいの気持ちで見に行ったと言う。 会場に足を踏み入れるや、その雰囲気に度肝を抜かれる。 熱気と一体感。 日本のバスケでこんな雰囲気見たことない。 なんだこれは、と。 バスケを始めた子どもの頃から将来バスケで生きていきたいと漠然と思っていた。 でもどうやって? 将来像を明確にイメージすることはできなかった。 日本でバスケで食っていく図は描けなかった。 見たことのないものは描
10月2日伊勢神宮内宮にて。 4時すぎに受付を済ませ、荷物を預け、ネクタイを締め(遅い)、自分の席へと歩く。 玉砂利を踏む音がどこかそわそわしているのは普段履かない革靴だからか。 僕は3千人の奉拝(ほうはい)者のひとりで、運良く一番前の席に座らせてもらえた。 目の前に廊下のように屋根ができている。雨天時のための備えであろう。 20年のお役目を終える正殿から、真新しい新殿へとお移りいただく、この御道敷がそのための通り道になる。 午後5時半、ここからは席を立つことは許されない。トイレも行かないようにとのお達しがあった。 実際に神様にお移りいただく儀式そのもの、渡御(とぎょ)は午後8時から執り行われることになっている。 それに至るまでの時間は、何が行われているのかが見えなくて僕にはよくわからず、何もしない2時間あまりを、ただ椅子に座って過ごした。 普段このような時間の過ごし方はない。 静寂。 神
映画を作り始めてから数年が経ち、いよいよ完成が近づいてきました。 新しいものを作れるのは、これまでの道のりがあってこそだと実感しています。 1990年から96年の連載時期、そして今日までの長い年月。 ジャンプで、単行本で漫画を読んでくれた人たち、TVアニメを見てくれた人たち、そしてリアルタイムでなく新たに出会ってくれ…
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