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円安とは
kaerusan.hatenadiary.org
むかしよく貧血で倒れたころ、「ああ、これは気を失うな」とわかる瞬間が、意外に心地よかったのを覚えている。お笑い芸人が階段でつまずきながら用意周到に体の向きを調節するように、薄れ行く意識の中でかろうじて、前後にばったり倒れて致命傷にいたるのはかろうじて避けようとしている。自然と、体は頭を守るように足下から崩れて、その場にへなへなと崩れるような格好になる。 貧血の刹那、一瞬の観察の中で、意識は、その場に垂直に崩れていく自分からのささやかな幽体離脱を試み、我が身の外から我が身が安全にくずおれる様を見守る。 PerfumeのGAMEを聴きながら、その、貧血の一瞬を思い出した。 過去、さまざまなアイドルが愛や恋を歌ってきたが、これほどまでに抽象的な歌詞を歌うアイドルはいなかったのではないだろうか。モーニング娘。がかつて熱をもって「ニッポンの未来」を鼓舞したことは、ここにいたって完全に遠い過去に葬られ
「マカロニ」は温度の歌だ。 「見上げた空は高くて だんだん手が冷たいの」と、早くも貧血少女は体温の危機にさらされている。危機にさらされているにもかかわらず、「暖めて」というのではなく、「キミの温度はどれくらい?」と聞いて手をつなぐのである。まるで高熱でうなされながら相手の平熱を測ってやるようなケナゲさである。泣かせるのである。 いやまて、もしかすると、このヒトは、自分の手が冷たくなることはわかっても、それに快不快を感じることができない存在かもしれない。このヒトはもしかして、ヒトではなく機械なのではないか。 しかし、機械にしては、何度もワタシに同意を求めるのである。 「ポリリズム」が「だね」から「だ」の歌だとすると、「マカロニ」は、「よね」から「の」の歌だ。 「いいよね」「やわらかいよね」「いつまでもいたいよね」「ちょうどいいよね」と、語り手は次々と控えめな同意を求める。同意を求めれば求める
予習と初演 ずいぶん前のことだが、コンサートに行くという知人が「ああ、行く前に歌詞ちゃんと覚えて予習して行かないと」と言うので、驚いたことがある。 もちろん、何度も繰り返し聞いた曲を聴きにコンサートに行くこともあるけど、あらかじめ知らない曲を聴くのも十分楽しいと思っていたし、歌い手が歌っているのに、わざわざ歌詞を覚えていく必要もない、とそれまで思っていた。 しかし、知人によれば、コンサートやライブに行くのであれば、アーティストと共に(声には出さなくとも)口ずさむくらい歌を覚えていくのが当然だし、そこまでしないと楽しめない、と言う。 へえ、とそのときは思ったのだが、どうもこうした意見は昨今、多いらしい。じっさいライブ映像で写っている客席を見ると、多くの人が口をぱくぱくさせている。ミュージシャンのほうも、合いの手をあおっていることが多い。 そういうものなのか。 もちろん、「予習」によってのみ意
HOSEの1stアルバムが送られてくる。 メンバーは知り合いだらけだし、これまで何度も演奏は聴いている。が、ここはあえてゆっくりパッケージを開け、居住まいを正して聴く。 いや、とんでもないアルバムだ、これは。 一曲めから、やらねばならぬことだけをやっている。 途中から音量を上げて聴く。三三七拍子のあとに鳴らされる泉くんのベースが、部屋を揺らす。まるで部屋がまるごと巨大な点取り占いと化したように、一度一度異なる託宣に震えている。それがずっと続く。 常識的に考えれば、この気が遠くなるような繰り返しを傾聴することに、人は耐えられるはずがない。演奏する方だって耐えられるはずがない。あまりの荒行に、トランペットのアンブシェアが崩れていくのがわかる。演奏者自身がおかしさに負けて落ちていく。なのに、三三七拍子だけが残っている。国破れて山河あり。三三七拍子の前に、人の生のなんとはかないことだろうか。 アル
二桁のかけ算 一九一九(イクイク) (黒松ブックス) 作者: かえるさんとガビンさん,ロビン西出版社/メーカー: ライブドアパブリッシング発売日: 2005/09/09メディア: 新書購入: 3人 クリック: 46回この商品を含むブログ (44件) を見る というわけで出ましたですよ。 語呂でかけ算を覚える本、なんですが、その語呂がただの語呂ではない。 11から19までの数字をキャラクタに見立てて、語呂に交換法則を持ち込んであるのです。 交換法則とはなんぞや? たとえば。 13を一茶、17をヒナとしましょう。 17×13=221です。(これを電卓使わずに打てる気持ちよさよ!)。 で、これを「つついてる」と語呂にする。 「ヒナ、一茶、つついてる。」 さて、13×17は、やはり221です。 というわけで 「一茶、ヒナ、つついてる。」 つまり! やられたらやりかえせ!目には目を!あなたからわたし
11/22のマチネーで、「友達」を観た。 舞台には、建材用の金属パイプを曲げてつないだだけの、簡素な部屋らしきもの。そこには壁も、床の間仕切りすらなく、二つのドアがなければ、それは部屋とすら判らない。 冒頭、まだ薄暗い舞台の上を、闖入者たちが現れ、パイプの存在を気にすることなく、思うまま舞台を縦横無尽に歩く。 この、不思議な導入部は、安部公房の原作と比べると、圧倒的に違っている。 確かに安部公房の原作には、「ドアを含めて、すべての家具調度が、可能なかぎり単純化され、省略されていることが望ましい」とある。しかし、その一方で、原作には「家具、調度をふくめて、赤っぽい粘土色、もしくは灰色で統一されていること。上手、手前に、台所に通ずるドア。下手、奥に、別の部屋に通ずるドア。下手、手前に、玄関のドア。(中略)玄関わきに、格子状の靴箱。」などと、舞台の配置配色は事細かに記されている。おそらく、「可能
日記タイトルではひらがなを省略しちゃいましたが、ばるぼら「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」(翔泳社)。ぼくが熱心にあちこちのサイトを見ていたのは1995-96年くらいなのだが、その頃に見ていて目についたものはほとんど網羅されており、なんというか、10年前の空気を嗅ぐような再現ぶりだった。 で、いちおう自分のとこも載ってるかなと思って見ると、ちゃんと載ってた(p50)。のみならず、「Textmedia」ということで取り上げられていたのだが、じつは自分で発信していながらすっかり忘れており、サイトからもファイルがなくなっている状態だった。昔のCD-Rを引っかき回したら出てきたので再掲しておこう(>(>Textmedia))。 インターネットのみならず、パソコン通信、雑誌の話もかなり充実しており、こちらは割と身近な話が載っているのだが、それでも、「Mac Power Bro
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