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掃除・片付け
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ようやく再投稿できるようになったので、文章を改正してアップ成功。 無限集合論は神学に適用できるという発想の下、落合仁司は数々の同工異曲の本を上梓しているが、これはその最新版。 これまで落合仁司は、正教会神学やパラミズムを持ち上げていたが、この書ではその称揚は影を潜め、「パラミズムはキリスト教の教義として許容しうるか否か。聖書の解釈からは、かなり難しそうである」(p.36)とにべもなくその価値を否定している。 パラミズムに代わって落合仁司の寵愛を受けるのは「十字架の神学」であるが、その内実はたとえばこういう感じである。 「事柄の本質は、十字架に付けられ苦しみ死ぬのは、人間イエスであると共に神ご自身であるという事態である。(・・・)古代のキリスト教徒たちは、この神を、神ご自身ではあるがその分身である、神の子、子なる神、キリストと考えた。さらに、十字架に付けられて苦しみ死ぬ以前の人間イエスもまた
密教フォーラム21公式サイト「エンサイクロメディア空海」内の記事「般若心教は真言を説いたお経」は、世に蔓延る通俗解釈を破砕していて爽快であり、気になる人には是非一読を勧める。 http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/ この中で特にひっかかったのは、第6章「仏母般若波羅蜜多の咒(マントラ)」 http://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/post-204.html 以上が一応の語義の説明ですが、「掲諦」から「菩提」までの各語は、実はすべて「般若波羅蜜多」の別称で、しかもそれらは女性名詞の呼格(呼びかけ語)ですから、女尊の名称なのです。 般若波羅蜜多が女尊であり、掲諦の句がそれと同義の女尊への呼びかけといえば、奇異に感じられるかも知れません。 宋(そう)の時代に漢訳した施護(せご)の経題は「聖仏母般若波羅蜜多経」とな
というわけで、復活いたしました。 15日の終戦記念日の小泉首相靖国参拝慶賀。あれで神式ならもっといいんですけど。直後の世論調査ではどこの新聞でもおおむね支持が不支持を上回り50%を超えてるようです。中韓の反発に嫌気がさしている一般のひとが増えたんじゃないでしょうかね。靖国行くなら首脳会談しない、なんてのは子供のだだみたいなもので、傍から見たら滑稽きわまりなし。相手にする必要ございません。 ところで今日付の読売新聞で、保坂正康とかいう評論家がコメントを寄せているのですが、その内容が気になりました。靖国神社の松平元宮司が、サンフランシスコ講和条約を結ぶまで日本はなお戦争状態にあったのだというようなことを述べているらしく、それを保坂は「異様な認識」と批評を下しているのです。私の理解では、なるほど1945年8月15日以来、一部を除けば戦闘状態は停止いたしましたが、それはあくまで「停戦」ということで
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