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GPT-4o
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ここに、さいころがある。 このさいころは、あなたの人生である。 さいころをふって偶数が出ればラッキー、1ポイント。 奇数が出ればアンラッキー、−1ポイント。 そして、折れ線グラフを描いていく。 人生には何が起こるかわからない。 ほとんどのひとは、最初のスタートが0であるなら、0ラインに絡むようにぎざぎざした水平線を描くと信じている。 ところが実際はそうではないのだ。 実際に、さいころで実験をしてみればあきらかになるが、かなりの確率で(90%)、一度0ラインを突破した線は2度と0ラインにタッチすることはないのである。 実際に実験するのもたいへんなので、それがなぜかを簡単に解説すると、さいころによって描かれるグラフは、永久に勝ち続ける45度の上昇線と、永久に負け続ける45度の下降線の間の空間のどこを通ってもよい。同じ用紙に繰り返しグラフを描いていくと、均等に黒くなってくるハズである。偶然は均等
告る、という行為が嫌いだ。 格好つけて言うなら、告られるのも苦手だ。 (もちろんこちらが相手以上に好意を持っている場合は別) そもそも、なぜ告らなければならないのか? こんなことをよく耳にする。 「彼への想いがもう辛いです。勇気を出して告白して、ダメでも気持ちにけじめをつけたい」 こういう告白の行く先は、たいていアウト!でアウチ!ということになりがちだ。 そもそも、「想いがもう辛い」という事態に至ったということは、関係になんの進展もなく、また、今後もなさそう、ということがなんとなくわかってしまっているからだ。 告るという行為は、告る本人にとっては一大イベントだが、99人にとってはどうでもいいことで、残り一人にとっては迷惑でしかない。 募る想いに負けただけの惨めな自己満足だけの自滅行為にすぎない。自分で好きになり、自分で辛くなり、自分で耐えられなくなって告るだけ。そもそも、そういう状況に陥る
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