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猫
memo1.hatenablog.com
新潮文庫の福田恆存「人間・この劇的なるもの」を読んでいたら、こんな文章に目がとまった。 p139 行動というものは、つねに判断の停止と批判の中絶とによって、はじめて可能になる。私たちはよく「現実を認識しなければならない」とか「現実を凝視せよ」とか、そういうことばを無考えに濫用する。行動は、その「現実の認識」のうえに打ちたてられねばならぬと考え、また、じじつ、自分たちはそうしてきたと思いこんでいる。したがって、その認識が、一つの仮説にすぎぬことを私たちはとかく忘れがちである。仮説が「現実の認識」と同時に、その切り棄てによって成りたつものであることを忘れている。 劇の主人公は、つねに一貫した行動家であるがゆえに、最初に、あるいは劇の進行過程のどこかで、この判断の停止と批判の中絶とを敢行しなければならない。いいかえれば、かれは不十分な資料を、不十分のままに信頼しなければならないということだ。 と
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