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ブックレビュー
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《貧困の読書、読書の貧困について》 ときどき、学生や院生が「この本は良い本ですか?」とか「読むべきでしょうか?」と相談にこられる。その時に、良い悪いを判断するのは君の役目じゃないのかね?と聞き返す。つまりこういうことだ、ひょっとしたら(僕の意見なしに)読んでみたら君にとってものすごくためになる本かもしれない、でも僕は「だめだよ」と言ってしまう。だとしたら、僕は君の未来の可能性を削いでしまう。逆もある、僕が良い本だといっても、君にはぜんぜん心に響かない。むつかしくて歯がたたないかもれない、あるいは簡単すぎて「先生は僕をバカにしたのかな?」と疑念がわくことだってある。君が、もう自分の責任で良い本か悪いものか判断できる証左だ。あるいは、良い/悪いは、人によって違う。つまり、各人にはイケてる本とイケている本があるわけで、それは良い/悪いという判断とは何の関係もないということだ。日本には図書館の本を
「彼はこのころ書いた論理学に関する論文で学位を取得することを考え、ムーアを通して大学当局へ打診したことがある。規定によると、学位論文にはきちんと註が付いていなければならない(どこまでが先行する研究の引用で、どこからがオリジナルな研究かを示すため)ので、ウィトゲンシュタインの論文は規定を満たさないので通過しないとの返事がムーアから寄せられた。ウィトゲンシュタインは「どうしてそんな下らない規定があるのか」「地獄へ落ちたほうがマシだ」「さもなければあなたが地獄へ落ちろ」と、筋違いにもムーアを罵倒した。この一件でウィトゲンシュタインは友人と学位を一挙に失い、取り戻すのは実に15年後のこととなる」(出典) ムーアは後に日常言語学派(G・ライルの命名とか)のドンになるグレイトな哲学者で、ムーアのパラドクスでも有名。 ◎ムーアのパラドックス(リンク)
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