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近代政治の脱構築 共同体・免疫・生政治 (講談社選書メチエ)posted with amazlet at 09.12.13ロベルト・エスポジト 講談社 売り上げランキング: 100489 Amazon.co.jp で詳細を見るエスポジトはイタリアの思想家。ネグリやアガンベンと並び、現代イタリア思想を牽引しつつある。 http://urag.exblog.jp/3417995/ それではその入門書ともいえる本書は何について書かれているだろう。答え、国家について、生-政治的な国家について。 共同体の分析と、免疫的民主制の分析の二章に、大まかにいえば本書は分かれる。共同体を分析した三篇は、「共同体と法」「共同体とメランコリー」「共同体とニヒリズム」と題され、大体ルソーからカントを経てハイデッガーにいたる流れがそれぞれに基づいて再構成されるのですが、ルソーが予感していたある種の人間の不完全さが、カ
初めに 本書はこみいった叙述ではないものの密度が高く、その各論に深入りしてゆくと、全体的な把握を失いかねない。この記事ではとりあえず大要の把握を目指す。スティグレールの思考はハイデガーやデリダを引き継ぎつつ、第一章で見られるような技術進化の理論を取り入れて技術を思考しようとしている。スティグレールにとって現代はプログラム産業の時代だといえるだろう。「外部環境に徐々に侵襲してゆく内部環境における運動」(79)である技術傾向は遺伝的に書きこまれたプログラムを外在化し、既存のプログラムを中断し、新たなプログラムを生み出すことで完成する。これが「時代-画定」とよばれる。(二巻,9)このプロセスが産業化されるのが現代である。その詳しい分析は次巻で行われる。本巻で行われるのは、それ以前の分析であり、現代技術を鮮やかに語るというものではないが、それでも重要だろう。 第Ⅰ部 ハイデガーは近代技術に集立とい
本書では、「われわれを取り巻く物理的世界について、われわれは何も知ることができない」という懐疑論的テーゼが検討される。この外界の知識への信頼が一挙に揺らぐこととなるテーゼと、その哲学的反対論の検討を通じ、われわれの持つ哲学的知識理論はどのようなものか、を明らかにするというのが本書の試みだといえるだろう。 一章では、デカルトの懐疑論的テーゼが紹介され、その論理構造が詳しく見られる。「省察」の第一章で、デカルトは暖炉のそばに腰掛けて紙を一枚手にしており、世界について何事かを知るのに最良の状態にある。このような理想的な状態で得られた知識を疑うべき理由があるのならば、それは同様に感覚によって知られる世界についての知識全体を疑う裏づけになるのである。 デカルトはたとえこの状態でさえ、われわれは夢を見ているという可能性を排除することはできないのだ、と続ける。夢を見ていればわれわれは外界に対する正しい知
本書でグレーザーズフェルドはピアジェ認識論の読解を通じて、自らの認識論的立場、ラディカル構成主義の理論を説明している。二章終わりに、ラディカル構成主義の原理が提示されている。 ・知識は感覚やコミュニケーションを経由して受動的に受け取られるものではない。 ・知識とは認知主体によって能動的に構築される ・認知の機能は、生物学的な意味で適応的なものであり、適合や実行可能性への傾向性を有している。 ・認知は主体による経験世界の組織化の役目を果たすのであって、客観的な存在論的実在を発見しているのではない。 (124) つまり、実在を想定せずに(「論考」のウィトゲンシュタインの像と現実との一致、カントの超越論的哲学における実在の措定など。またイギリス経験論にも実在への通路は見られるといわれる)、経験からの組織化によって認識を構成する実行可能な(ありうる)理論、というのが根本的な立場と言えるだろう。この
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