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GPT-4o
nanimositeinai.hatenablog.com
最近は興味のそそられるまま、様々な動画を観ています 身近な問題、「ゴミ屋敷」遺品整理 年々、歯が悪くなり、喉の炎症も治らず、人並み以上の白内障の進み 運動不足の下半身にどっぷりの脂肪 あまり健康的な暮らしぶりではない今、自分はいつまで生きられるのだろう? 押し入れには、内職用の資材がまだ ぎっしり詰まっています 今、自分が動けなくなったら困るのは子供達 猿夫の拾い癖も気に掛かり、熱心に観るのは遺品整理の動画です そう言えば、実家の片付けも半年掛かったっけ… ・盆暮れの付け届けにもらった新品の下着セット ・サラリーマン向けの紳士用靴下 ・涼し気な夏用肌布団、シーツ、 ・婦人用皮ハンドバッグ 全部、全部 使わずに大事にしまい込んでいた両親 押し入れにびっしり詰められた それらの箱を一つ一つ開けてみると らくだの肌着は虫が食い、シーツ類は変色し シミがつき、 靴下のゴムは伸びきり、バッグ類にはカ
12年ほど前になるでしょうか 数年引き籠りを続けていた 娘 豹の統合失調症の病いが判明し 早々に今の住戸に連れて来た当時 2年目にして やっとエアコンを取り付けた時 親の私は、これで快適に引きこもっていられる筈♪ と大満足していました その当時 豹は食事・トイレ以外はほとんどベッドで寝て過ごしていました 入浴も 私がせっせと早めに掃除を済ませ「身体にいいから」 と促したからこそ無理に入っていた様に思います 最近になって、、いや最近になったからこそ 彼女から 当時の胸の内を聴けるようになりました エアコンの通風機あたりに隠しカメラが仕掛けられていて、監視されているのではないか?と思っていた事 バスルームの温度調整する器具にも監視カメラがあって見張られている感じがした事 天井の火災探知機も監視カメラに見えていたそうです 健常者には想像も出来ないほどの被害妄想でした 私にすれば、至れり尽くせりの
末っ子 虎が家出して… 即日、お嫁さんのお父さんから、 離婚協議書には〈特別な費用を要する場合は 話し合いをする〉と書いてあるにも関わらず、 「養育費三万じゃ納得出来ない!<`ヘ´> 大学進学費用を全てこちらに押し付ける気か!?(; ・`д・´)」 と御立腹の電話が掛かってきてから 約一ヵ月が経ちます 中卒の学歴の人が 全て猿夫のような生活、猿夫のような思考をするとは限らない、とは思いますが… 優秀な高学歴の人が たまたま首都圏での就職先で挫折し 故郷に舞い戻り、自分と似たような業種に就いているのを見て 猿夫は、十把一絡げに「大学なんか何の役にも立たない」と言い切ります 「親はなくとも子は育つ」 そう言い放って 子守りもしませんでした 私に口うるさく指図したのも 「叩けば叩くほど いい職人が出来るから」 と 手前勝手な解釈をしました 無学ゆえ、行政手続きの出来ない猿夫は 銀行マンに、年金受
先日の、 末っ子 虎の、お義父様からのお叱り電話は 考えさせられるものがありました 「虎くんが作った離婚協議書は納得できない! 養育費が月3万だと!? 孫の教育がこれから大事なのに 学費のことを全然考えていない!」 お義父様は 学歴重視型で お嫁さん、チータさんも高学歴です 考えました 確かに高学歴なら 将来の職業選択の巾が広がります でも いくら学歴を積んで大企業に就職出来ても うつ病を発症して 自死などされたら 元も子もない 私なりに これから どんな教育が必要か? 2~3冊の本を買って読みました(まだ一冊目です) 【男の子が自立する子育て】 中・高一貫の私立進学校の校長先生が書いた本です 中学・高校の多感な時期の教育が、人生の土台作りとなり 「自立心」と「自律心」を育むことが重要で 大人がどのように接すればそれらが育つのか 書かれています 中で関心を引いたのは 限られた環境(資金・指
私の姉達は 多分「優等生」でした ともかく…いつも私は「お姉ちゃん達は成績良くて、活発なのに・・」 と言われていました 兄弟は他人の始まり とはよく言ったもので 幼い頃は 上二人が結束して私を虐めます 何もかも他人のせいにするわけではありませんが 私の成育歴は どんより淀んだ暗雲の中を思わせ カウンセラーに解きほどかれるまでは 心に蓋をしたまま 長い年月を過ごしました そうか…母親の笑顔が無かったから、暗い日々だったんだ いつも叱られてばかりいたから、自分は悪い子だと思ってたんだ だから 自分を安売りしてしまったんだ 姉達の「のろま~」「色黒」「ぐず」 そんな誹りが無かったら、きっと仕事でつまずく事態は起きなかったんだ もっと早く 要らぬ呪縛に気付くべきだったんだ もう手遅れと言えましょう せめて 我が子達には世襲しないよう 心を配ったことだけでも、ひょっとしたら 私は優秀かも知れない そ
最近 自分でよく頑張った、と思うことが二つあります 一つは前記事でも綴った、子供達に幼児期を楽しくすごさせる事 そしてあと一つは歯のことです 数か月前、私は歯の補綴物が取れたので 歯医者さんで治療してもらいました 咀嚼時に全体的に痛みが出るので、いよいよの老化を感じたわけですが 私が虫歯菌と仲良くなったのは乳歯時代からです 乳歯の虫歯は永久歯もむしばみます おそらく 商家の長男の嫁だった母は その忙しさのあまり 末子の私の子守りを祖父・祖母に任せていたのでしょう 私は幼い頃から甘いお菓子を食べ 肝心の栄養になる食事、食は細かったようです 上の姉達と違い、歯質も弱いと思います 小学校時代から 私だけ歯はボロボロで 恐怖の歯医者さん通いは毎年続いていました 現在、私の歯は前歯・臼歯とも ほとんど何かかぶせています 歯は大事です 身体全体に影響します 子供達三人には そんな嫌な思いをさせないよう
今でもそうですが 一つ 一つ アルファベットを捜しながら 一時間掛けて やっと400文字 そんなブログを綴り始めて 約一年になります 最初は とあるサイトで。 怪我を負い、まだ 躰から血を流しながらも これをしておかなければ忘れてしまう… そんな備忘録でした とりわけ 娘、豹を独り暮らしに放り投げた記事は 痛みも生々しく 削除した投稿は3~4記事にもなります 約九十記事、文章も長ったらしく 構成も全くハチャメチャで 内容の掴みにくいブログでした そんな物でも 読み手には分からなくても、書き手の私には どんな事柄に どんな対処をしたか 克明に記憶によみがえって来ます あぁ、自分って 結構 頑張っていたんだ… 少しは自分を許す気が涌いて来ました
私が 猿夫の商いを手伝い始めて 早や7年経ちました 一番の収穫はパソコンに触れる様になった事です パソコン教室で習えば もっと上達するかも分かりませんが 私は 外出は困難を伴う為、今の独学で良しとしています ブログを楽しめて 本当に良かったです 片や・・ 20年程前に 猿夫が私に見せた《1000万円通帳》 私は その金額を上回る『給料』を この7年間で getしてやりました 報復措置 です チンパンジーは人間に進化しました 猿夫は言います「お疲れさん」 で・・、そろそろ 年金も貰っている事だし 商いの方も手仕舞いしてくれれば 私も 自分の好きな趣味に打ち込めるのですが どうも 猿夫に まだそんな気配は 感じられません 私は多分 貧乏性なのでしょう 加えて 子供達に「両親の不仲」と言う 最も罪な育て方をしてしまった罪悪感があります そんな山村猿夫家の財産を少しでも増やすべく 今日も山村海は
「 自分が大事に育てた娘を 山から出て来た猿に盗られる、 そんな感じがする」 これは四十数年前に父が言っていた言葉です (ストーリーの❝猿夫❞はこの父の言葉に由来しています) 「将来、海ちゃんが苦労するのは目に見えている」 これは四十数年前に上の姉が言っていました 二人とも、基本的には私の結婚には難色を示していました そんな父と姉です 今までの猿夫の家庭での態度を聞いて 私の運転するレンタカーに乗り込み 文字通り、村の舅・姑の許まで 抗議に乗り込んでくれました 父:「アンタ方の息子さんは 甲斐性も無いくせに亭主関白過ぎるんだ」 姉は猿夫に面と向かい 私が言いたかったセリフをずばり代弁してくれました 姉:「それほど※注文を付けるなら、他でそんな人を探せばいいのよ」 姉は前々から 私が体調を崩しても 何一つ手伝わない猿夫の様子を知っていたのです 家庭裁判所での離婚調停は 残念な事に 其処でも男
「お母さん、どんなに旦那さんが憎くても 中学校を卒業するまで 離婚は待ってあげて下さい」 父母を対象とした教育関係者の 講演の中で聴いた言葉でした 当時は まだ次男が中学生でした 思春期の子供に どう向き合うか、の議題の中での言葉です 私の計画では まだまだ もっと子供達が高校を卒業するまで 仮面夫婦を続けるつもりでしたが 猿夫は 自分の利害に関してだけは 頭が回るようでした まもなく 私の買った家を見つけ 恐ろしく凶暴化しました 奴さんにしてみれば 謀反を起こす家来が許せない 逃げ出す奴隷に腹が立つ・・そんな感じでしょうか (その後 何年も、通りで 猿夫と同じ青い服を着た男性を見掛けると 本能的な恐怖を感じたものです) 致し方なく、私は一旦 父の住んでいた実家に逃げ込み 其処で数ヵ月暮らす事になります 小さな街での生活です マイホームも私の実家近くを選び、子供達の通学圏内です 猿夫に見つ
不思議なものです こと育児に関しては 自分の母親を反面教師にして 三人の子供達に対峙する時は 気長~に待てたのですが 買い物は また別口になるのでしょう 私は 早や三軒目の物件を見て 話しを決めました 最近になって 私はせっかちかも知れない と気づいています 猿夫は勿論のこと 《敵を欺くには まず味方から》 子供達にも内緒にして中古物件を買いました 資金は、今まで貯めに貯めたパート・バイト代と 父からの、折に触れてのお小遣いと 猿夫の生命保険二社から 貸付限度額いっぱい、カードで引き出しました 今から思うと・・ 当時は昼間のサービス小売店でのパート そして、夜のヘルパー役アルバイト 二つ掛け持ちで 働き、ゆっくり家庭に居る時間の方が少なかったので ・・・ 後になって気付くのです 子供と一つ屋根の下で暮らす期間は 概ね、たったの18年間です その貴重な18年間をもっと大事に過ごすべきでした
その日は来るべくして やって来ました パートを始めて数年経った頃です 毎年、盆正月には 猿夫の郷に2~3日帰省するのですが その際には 高級目の食材を買い、私が料理人となって 向こうの舅・姑にも 御馳走を振る舞います その年は勇気を出して 私は行かない、と言いました 平静を装いながら「なぜ行かない?」と猿夫 子供達は その場に居なかったと思います 私は勇気を奮って「自分の お金を使って、気を遣って、躰を使うのが嫌だから」 と答えました 瞬時でした 猿夫の手が 私の頬・顎めがけて飛んできました 私は 他人はおろか 親にも殴られた経験はありません 私を殴ったのは、後にも先にも猿夫 ただ一人です 茫然!、としながらも「やっぱり・・」と 私は変に納得出来ました 本性が表れたのです 猿夫は、倒れて起き上がれない状態の私に 3万円を投げてよこしました (本当は いつも私の財布から出す金額は3万円を超え
たかがパート されどパート 今まで狭い家庭内で閉じこもっていた育児時期と違い 一旦 外に出ると 世間の事が見えて来ます 世の中には 自分の趣味を楽しむ主婦や 夜、お酒を飲みに外出する主婦もいる事を知り びっくりしました 私は スポーツクラブに入り 交流も広がり、一緒にお茶する男性も出来ました 毎晩の様にアクアビクスやエアロビクスを 楽しんでいましたが 二回ほど その事態があったと思います 私が スポーツクラブのチェックアウトを済ませて 外に出た瞬間、見慣れた家の車がスーッと駐車場を出て行くのです 私は自転車です 猿夫が迎えに来てくれたのかな、と思い 追いかけましたが スピードを落とす事なく 振り切る様に家路を走って行きました 二回目で気が付きました 猿夫は 私の浮気を疑って、 ガラス越しに見えるスポーツクラブのフロントを 屋外で見張っていたのです 途端に、私にはマグマの様な怒りが こみ上が
普段 よく風邪を引く私でしたが まだ 若い体力が残っていたのでしょう 三番目の次男が生まれたのは 死産してから 約一年後のことでした 長女:五歳、長男:三歳 でした 私は人より遅れて、乳飲み子抱いて 幼稚園の説明を個別に受けて 長女を入園させたのを覚えています 幸いにも 次男は母乳不足の時は ミルクも飲んでくれ 順調に大きくなりました 幼稚園バスの昇降場まで、次男をおんぶし 長男の手を引いて 長女を送り迎えします 《ワンオペ》での三人の子育て 一人目は体力で育て 二人目は気力で育て 三人目は死力で育てました こっそり内緒話しを打明けます 長女・長男の子育てには 常に責任感が重くのしかかって 「早く大きくなってくれないかナ」 「熱湯かけて三分 で大人になってくれないかナ」と、 へとへと感の方が 子を愛でる気持ちよりも勝っていたのですが 三人目となると、心に余裕が出来るのでしょう 次男に対して
私は 子供は嫌いです ですが、当時の教本には一人っ子のデメリットが強調されていました ・我が儘な人間に育つ ・社会性に欠ける大人になる (嘘です。私は、兄弟三人ですが 自身は身勝手で 今 全く社会性は無いです) なので 結婚前から「子供は三人生む」と決めていました 猿夫の亭主関白ぶりに不満を抱きながらも 家事育児は全て女が担うのが当り前、と猿夫は考えているのだろう その考えを変えるのは無理そう・・ やがては主婦のシンドさも解かってくれるかも知れない・・ と思って 切迫早産になりかけた第二子の長男が 何とか 無事に生まれ 更に育児がキツくなっても 私は黙々と 家事全般と二人の育児を独りで行って来ました 子連れアルバイトの方は さすがに出来なくなり 実家へ 晩ご飯を作りに行くのも止め 猿夫の お弁当作りも自然消滅していたと思います 猿夫の方は 飲酒・会食の習慣の無い人だったので 毎日 規則正し
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