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猫
nexit.hatenablog.com
義妹が遊びにきた際に、久しぶりに初代スーパーマリオ(ファミコンミニ:GBAソフト)をプレイした。 1−2までしか進めない娘に代わり、お父さんが見本プレイ。 親の世代では当たり前である隠し要素を中心に、記憶を探りつつ懐かしみながらプレイしていたところ娘さん大興奮。 最近のゲームの方がよっぽどすごいハズなのに…と思って分析。 娘が驚いていた項目をあげると… ・土管に入れる ⇒ 地下のステージ ・何も無いところでジャンプ ⇒ ブロック出現 ・普通のブロックを叩く ⇒ 木が出現 ⇒ 雲のステージ ・地下ステージで天井ブロック破壊 ⇒ 天井の上を移動 ⇒ ワープ土管出現 今や、というか自分達の中ではあまりに当たり前になってますが、最初に見つけた時はびっくりしたよね。そういえば。確かに。 発見後すかさず手当たり次第に土管の上でしゃがんだし、片っ端からブロック壊してたよね。 天井の上にジャンプして上がろ
なんとなく思っただけで検証もしていないのだけど、もしかしてさぁ、今の時代、ゲームの楽しみ方まで伝えないとだめなのかも。 以前はルールを伝えることがもっとも重要だったと思う。 でも今はルールではなく、そのルールがどんな面白さを生み出すかを伝えることが重要・必要な感じ。 パラメータもそのものの説明ではなく、それが生み出す結果や、それが変化することでどんなことができるようになるか などを伝えるべきか。 自由度を高くする場合でも、作り手の誘導から逸脱することで生まれる広がりを伝える必要があるのかも。逸脱したらどうなるんだろう…という探究心を求めても、マニア層しか届かない。他のコンテンツ同様、ゲームも消費されている感じ。 チュートリアルも複雑化するルールをわかりやすく伝える ではなく、どう遊ぶと楽しいかを伝えるべきなのかも。 …ニコニコ動画の実況プレイ人気から、そう思った次第。
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