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nihonchabunkasshi.hatenablog.com
市中の山居 ウェブを検索すると、「市中の山居」とは利休が求めたところ~という内容の記述が多く、さらに出典も出てこないため、守屋毅『喫茶の文明史』から自身のメモとして以下にまとめておきます。 山居の躰・市中の陰 公家の鷲尾隆康が、宗珠(珠光の養子)の茶亭に訪れた時の印象を、このように書き残しています。 「山居の躰(てい)、尤も感有り。誠に市中の陰と謂うべし。」(『二水記』1532年5月) この茶屋は、当時の常識としては非常に狭い「四畳半」「六畳」の小さな座敷で(『宗長日記』1527)、下京四条の北にあり「午松庵」と呼ばれていたそうです。(『茶祖四祖伝書』) 庭には松や杉があり、紅葉も印象的だったようで、市中にありながら山里の草庵を思わせる風情であったと言われます。 連歌師の宗長もこの庵に共感し発句し、さらに歌人 富原統秋の「山里庵」によせて、 山にても憂からむときの陰家や 都のうちの松の下庵
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